もちねこのペアダンスメモ

もちねこのペアダンスメモ

異国のダンスを学ぶ

【ジェンダーの役割の概念を崩す、新しい社交ダンス】

トレバー・コップ&ジェフ・フォックス

www.ted.com

 

サルサのダンスシーンから始まります。

 

01:56

(トレバー・コップ)芸能人と踊る社交ダンス選手権(Dancing with the Stars)の放映が始まった当初は、こんな光景はなかったですよね

 

 

02:01

観客(笑)

 

 

02:03

Dancing with the Starsの番組の効果で社交ダンスの一大リバイバルが起きた当時は、僕もジェフもフルタイムで、社交ダンス講師をしていて、それはもう 信じられないほどの反響でした。前は「フォックストロット (社交ダンスの一種)」と言うと、「狐(fox)が駆ける(trot)???」 のような反応だった人たちが。

 

 

02:19

(笑)

 

 

02:20

うってかわって、フェザーステップのコツやら、もっと細かいウンチクをたれたりするようになり、度肝を抜かれましたね。それまで僕らがいつも熱心に交わしてきた社交ダンスに関するコアな話— 例えばサルサの踊り方が競技ルンバと違うのはなぜかとか、タンゴでの移動の仕方がワルツとは違うのはなぜかとか。そういったことが一般人の意識に 一挙になだれ込んで すっかり状況が変わったのです。

 

※(本家本元のイギリスのTV番組Come Dancing→Strictly Come Dancingもイギリスでの社交ダンスの定着に一定の役割を果たしています。)

 

02:45

でも、テンションが上がる一方で— 突如 なぜか僕らが「COOL(イケてる人)」に なったわけですからね—。

 

 

02:52

(笑)

 

 

02:55

同時に戸惑いも発生しました。なぜ 、そして今( 社交ダンスなのか)?と

 

 

03:01

(ジェフ・フォックス) トレバーと僕は講習で集まった折や、おふざけまでに、お互いにクルクル回しあったり、役割を混ぜたり、常にやるはめになるリード役を、休んだりしていました。踊りながらリードとフォローの役割を、交替する仕組みの考案さえしました。公平に順番交替するわけです。その後この仕組みを、とある小さなフェスティバルでのショーの一環に取り入れたら、大きなチャンスが舞い込みました。ある脚本家事務所で芸術監督をしているリサ・オコネルという劇作家に ショーの後に呼び止められ、こう言われたんです 「今のショーの思想性の強さ、分かってるの?"Do you have any idea how political that was?" 」

 

 

03:30

(笑)

 

 

03:32

ここから8年にわたる共同制作が始まりました。僕らが考えた役割交替の仕組みを、さらに発展させるだけでなく、人が単一の役割の中に 閉じ込められてしまうことや、もっと深刻な問題として その役割で定義されてしまう怖さを 掘り下げました。

So that began an eight-year collaboration to create a play which not only further developed our system for switching but also explored the impact of being locked into a single role, and what's worse, being defined by that single role. 

 

 

03:45

(トレバー)というのも、当然 昔ながらのラテンダンスや社交ダンスは、ダンスの体系であるのみならず、人の考え方や存り方、そして他者との関わり方など、その時代時代の社会観念を、そっくり反映しています。ただし、どの時代でも、常に一貫していたのが、男性がリードし、女性がフォローする、という観念です。ストリート・サルサでも、競技タンゴでも、何であっても。男がリードし、女がフォローします。

TC: Because, of course, classic Latin and ballroom dancing isn't just a system of dancing; it's a way of thinking, of being, of relating to each other that captured a whole period's values. There's one thing that stayed consistent, though: the man leads and the woman follows. So street salsa, championship tango, it's all the same -- he leads, she follows. 

 

04:11

つまり、これはジェンダー教育なのです。ダンスを習うだけにとどまらず、男は男として、女は女としての振る舞い方も、習うものだったのです。もはや過去の遺物です。遺物というものは、ポイっと捨てたりはしないものの、過去のものだと認識する必要はあります。現在には当てはまりません。シェイクスピアのようなもので、敬意を払い、復刻させるのはよし でも、過去のものです。現代人の考え方を代表するものではありません。

So this was gender training. You weren't just learning to dance -- you were learning to "man" and to "woman." It's a relic. And in the way of relics, you don't throw it out, but you need to know that this is the past. This isn't the present. It's like Shakespeare: respect it, revive it -- great! But know that this is history. This doesn't represent how we think today. 

 

 

04:37

そこで僕らは考えました。「余計なものを全て削ぎ落としたら 社交ダンスの中核にあるのは何だろう?」

So we asked ourselves: If you strip it all down, what is at the core of partner dancing? 

 

 

04:44

(ジェフ)社交ダンスの中核にある原理は、1人がリードし、もう1人がフォローすることです。誰がどちらの役で踊るにしても、体の動かし方は同じです。

物体の運動という観点ではジェンダーなど、全くどうでもいいことですからね!

JF: Well, the core principle of partner dancing is that one person leads, the other one follows. The machine works the same, regardless of who's playing which role. The physics of movement doesn't really give a crap about your gender. 

 

04:55

(笑)

 

 

04:56

ただ、既存の型を作り変えるとしたら、今この場、2015年における、人の交流の在り方を代表するものとして、よりふさわしい形に変えなければなりません。社交ダンスを観るときは、そこに現れているものだけでなく、現れないものも意識してください。ペアは常に男1人と、女1人の組み合わせのみ、男女一組で、それしかなく、これまでずっとそうです。

同性同士や、男らしい女・女らしい男が、ペアで登場することは全くありません。メジャーな国際競技ダンス大会のほとんどにおいて、同性同士のペアはまず 出場させてもらえませんし、多くの場合 規定で完全に禁止されています 。

So if we were to update the existing form, we would need to make it more representative of how we interact here, now, in 2015. When you watch ballroom, don't just watch what's there. Watch what's not. The couple is always only a man and a woman. Together. Only. Ever. So, same-sex and gender nonconformist couples just disappear. In most mainstream international ballroom competitions, same-sex couples are rarely recognized on the floor, and in many cases, the rules prohibit them completely. 

 

 

05:28

(トレバー)「ラテンダンスのプロ」で グーグル画像検索して 本物のラテンアメリカ系の人を 探してみてください。

TC: Try this: Google-image, "professional Latin dancer," and then look for an actual Latino person. 

 

 

05:35

(笑)

 

 

05:37

何日もかかること請け合いです。

何ページにもわたって実際に出てくるのは、どう見ても白人な男女ペア。

日焼けスプレーをかけまくって ガン黒肌なだけ。

You'll be there for days. What you will get is page after page of white, straight Russian couples spray-tanned to the point of mahogany. 

 

 

05:45

(笑)

 

 

05:47

黒人やアジア系や混血のペアはなく、要は、白人以外の人は全く登場しないのです。

There are no black people, there are no Asians, no mixed-race couples, so basically, non-white people just disappeared. 

 

 

05:54

さらに、白人の男女ペアしかいない中でさえ、女のほうが背が高いのはナシ、男のほうが背が低いのもナシ、女のほうが勇壮なのもナシ、男のほうが物腰柔らかなのもナシ!

Even within the white-straight- couple-only paradigm -- she can't be taller, he can't be shorter. She can't be bolder, he can't be gentler. 

 

06:07

社交ダンスの世界の外で、このルールを会話に落とし込んで、映画に登場させたとしたら 世間は絶対に受け付けないでしょう。

「男が命令し女が応じる」…こんな関係、ゲイであれストレートであれ、どんなカップルであれ。健全、または良好な関係の2人には、全くありえないですよね。

それなのになぜか、ゴールデンタイムの番組で ゴテゴテにメイクして、派手に着飾った人が言葉ではなく動きで表現すると、それを世間はお茶の間から喜んで観るわけです。

実感と、かけ離れたものに対し、拍手喝采しているのです。

あまりにも多くの人々が、社交ダンスの世界には不在なのにです。


If you were to take a ballroom dance and translate that into a conversation and drop that into a movie, we, as a culture, would never stand for this. He dictates, she reacts. No relationship -- gay, straight or anything -- that we would regard as remotely healthy or functional looks like that, and yet somehow, you put it on prime time, you slap some makeup on it, throw the glitter on, put it out there as movement, not as text, and we, as a culture, tune in and clap. We are applauding our own absence. Too many people have disappeared from partner dancing. 

 

 

06:50

(音楽) 男性同士で踊る。

 

 

07:34

(拍手)

 

 

07:40

(ジェフ)今 男2人で踊るのを ご覧になりましたね

 

 

07:43

(笑)

 

 

07:44

それを見て、少し変な感じがしたでしょう。面白いし、目を惹くとさえ言えますが…でも、ちょっと異様ですよね。同性同士の社交ダンス競技会の追っかけに熱心な人でも、同性ペアのダンスはダイナミックで、力強く 盛り上がるけど、どうも何かが違う感じがすると言います。見た目の話をすれば、アリーダと僕が、典型的なクローズ・ホールドを組むと 美しいものと見なされますが・・・。

 

(男性がフォロー、女性がリードでホールドを組んで観客に見せる)

 

08:14

(笑)

 

 

08:16

なぜこれではダメなのでしょう

 

 

08:18

(笑)

 

 

08:19

常識とされているリード役のほうが大きくて男らしく、フォロー役のほうが小さく女らしくなければならない― その考え方が障害になるのです。

 

 

08:27

(トレバー)僕らはこれを全く別の角度から考えました。もしもリードとフォローという 概念はそのままで、ジェンダーと結びつける部分は 捨てていいとしたら?さらにお互いにリードしたり、フォローしたりした後に 交替していいとしたら?そして元に戻したなら? これを会話のような形でできたとしたら?誰もが毎日しているように、順番に話して聴いてといった具合です そんな風に踊っていいとしたら どうでしょうか? 僕らはこのダンス手法を「流動的リード」と名づけました。

TC: So we wanted to look at this from a totally different angle. So, what if we could keep the idea of lead and follow but toss the idea that this was connected to gender? Further, what if a couple could lead and follow each other and then switch? And then switch back? What if it could be like a conversation, taking turns listening and speaking, just like we do in life? What if we could dance like that? We call it "Liquid Lead Dancing." 

09:04

(ジェフ)これをラテンダンス — サルサで試してみますね サルサでは 位置交替用のステップ クロスボディリードが多用されます。即興で踊るときに メリハリをつけるために 使われています 見慣れていない人だと 気づきにくいかもしれません。こんな感じです 安い席のお客さんのために、もう一度。

 

 

09:26

(笑)

 

 

09:32

この動きを もう一度 ゆっくり 丁寧にやります 流動的リードという考え方を このステップに当てはめると クロスボディリードの時点で リードとフォローが交替できます フォロー役の人が リード役になろうとしたり リード役の人がその役を 譲ることにしたりと つまり クロスボディリードの 逆をやるわけです スローモーションで見てみましょう 冒頭にお見せしたダンスを 再現してみますね

 

 

10:14

この ちょっとしたひねりを加えることで、ダンスは「命令」から 「交渉」になります。誰がリードしてもいい、誰がフォローしてもいい。さらに肝心な部分は、気が変わるのもアリだということです。今のは、この考え方を応用したほんの1例ですが、視野が広がってしまえば、それから何をしたっていいんです。

With this simple tweak, the dance moves from being a dictation to a negotiation. Anyone can lead. Anyone can follow. And more importantly, you can change your mind. Now, this is only one example of how this applies, but once the blinkers come off, anything can happen. 

 

 

 

10:31

(トレバー)ここで流動的リードの考え方を、昔ながらのワルツに当てはめてみましょう。

当然のことながら、これはリードを交替する仕組みにとどまらず、実際に、ダンス自体の効率を改善する考え方でもあります。

TC: Let's look at how Liquid Lead thinking could apply to a classic waltz. Because, of course, it isn't just a system of switching leads; it's a way of thinking that can actually make the dance itself more efficient. 

 

 

10:44

さて、ワルツとは何か。ワルツとは回転するダンスです。つまりこういうことです。

リード役の人は、踊っている時間のうち半分は、完全に進行方向が見えません。そしてフォロー役の位置も位置なので、要は2人とも行き先が 見えていないのです!
So: the waltz. The waltz is a turning dance. This means that for the lead, you spend half of the dance traveling backwards, completely blind. And because of the follower's position, basically, no one can see where they're going. 

 

11:00

(笑)

 

 

11:02

仮に このへんに立っていて あれが自分に向かってくるんだと 想像してみてください

 

 

11:06

(ジェフ)グアアア!

 

 

11:08

(笑)

 

 

11:09

(トレバー)実際に、この死角のせいで 事故もたくさん発生しています。でも、もしもペアが一瞬だけ、体勢を入れ替える余地が、あったとしたらどうでしょう? たくさんの事故が回避できます。1人がずっとリードを続けたとしても、今のような組み替えを挟むようにすれば、もっと安全に踊れるようになり、また同時に、ワルツの踊りに、新たな美の形が生まれます。

物体の運動的には、ジェンダーなんて クソどうでもいいことですからね!

TC: There are actually a lot of accidents out there that happen as a result of this blind spot. But what if the partners were to just allow for a switch of posture for a moment? A lot of accidents could be avoided. Even if one person led the whole dance but allowed this switch to happen, it would be a lot safer, while at the same time, offering new aesthetics into the waltz. Because physics doesn't give a damn about your gender. 

 

11:37

(笑)

 

 

11:40

(ジェフ)この流動的リードのダンスを クラブや公会堂ステージで リサと共同制作した演目 『ファーストダンス』の一環として 北アメリカやヨーロッパで 披露してきましたが 必ず観客が釘付けになります 男2人が組んで踊るという 異様な光景であること以上に 必ず心を動かし 魅了する力があるダンスなのです なぜでしょうか?

 

 

11:58

その鍵は、僕らの初めてのショーに、リサが「思想性」を見出した原因にあります。ただリードとフォローを、切り替えるだけではなく、それぞれの存在感や個性や力強さを一貫して保っており、どっちの役を演じていても、その点は変わらなかったことです。自分らしさはそのままでした。

The secret lies in what made Lisa see our initial demonstration as "political." It wasn't just that we were switching lead and follow; it's that we stayed consistent in our presence, our personality and our power, regardless of which role we were playing. We were still us. 

 

 

12:13

ここに本当の自由があるのです。役割を交替する自由だけではなく、どっちの役割を演じていても、その役に定義されずに済む自由であり、常に自分に正直であり続けられる自由です 。リード役やフォロー役が、どんな姿であるべきかは忘れましょう。

男らしいフォローや、女らしいリードでもいい。ただ自分らしくあることです。もちろん、この原理は、ダンスフロアの外でも同じです。しかしダンスフロアは、古い世界観を塗り替え、古い遺物に活力を吹き込み、現代や、この時代を生きる人の在り方に、よりふさわしい表現になるよう作り変えるのに、もってこいの場所なのです。

12:13

And that's where the true freedom lies -- not just the freedom to switch roles, but the freedom from being defined by whichever role you're playing, the freedom to always remain true to yourself. Forget what a lead is supposed to look like, or a follow. Be a masculine follow or a feminine lead. Just be yourself. Obviously, this applies off the dance floor as well, but on the floor, it gives us the perfect opportunity to update an old paradigm, reinvigorate an old relic, and make it more representative of our era and our current way of being.

 

 

 

12:46

(トレバー)ジェフと僕はいつも、相手が男でも女でも踊りますし、すごく楽しいですよ。しかし、僕らが踊るとき意識しているのは、社交ダンスは昔から存在するものであり、現代人が謳歌している、様々な種類のアイデンティティによっては、自分を表現できない人や 無視される人が、出てくるということです。流動的リードを考案したのは、1つの方法として、でした。現代の人々にはそぐわない概念を、1つ残らず削ぎ落とし、本来 社交ダンスがいつもそうであった姿を 取り戻すことが目的です。つまり お互いを気遣う 繊細な技術としての社交ダンスです。

TC: Jeff and I dance partner dancing all the time with women and men and we love it. But we dance with a consciousness that this is a historic form that can produce silence and produce invisibility across the spectrum of identity that we enjoy today. We invented Liquid Lead as a way of stripping out all the ideas that don't belong to us and taking partner dancing back to what it really always was: the fine art of taking care of each other. 

 

 

13:20

(音楽) 男性二人での踊り。

 

(拍手)

 

 

(感想)

この動画を見た方は、どのような感想をお持ちになるのでしょうか。

おそらく諸手を挙げて賛成という方は、少ないと思われます。

はっきりと反感を持たれた方もいるでしょう。

あるいは良いことだとは思うんだけど…と思いながらも、戸惑い、ためらいを抱いた方のほうが多いかもしれません。

 

そうであるからこそ、彼らはTEDでプレゼンするほど、アイデアの斬新性を買われているのだと思います。

世の中にこの「流動的リード」の考えが当たり前になるほど浸透していたら、誰も取り上げません(笑)

 

私は、彼がプレゼンを締めくくる言葉として話した次の言葉が、とても重要だと感じました。

 

■「社交ダンスは昔から存在するものであり、現代人が謳歌している、様々な種類のアイデンティティによっては、自分を表現できない人や 無視される人が、出てくるということです。

流動的リードを考案したのは、1つの方法として、でした。現代の人々にはそぐわない概念を、1つ残らず削ぎ落とし、本来 社交ダンスがいつもそうであった姿を 取り戻すことが目的です。つまり お互いを気遣う 繊細な技術としての社交ダンスです。」

 

「様々な種類のアイデンティティによっては、自分を表現できない人や 無視される人が、出てくる」とは一体どういうことでしょうか?

 

この動画で、具体的に言及されていたポイントは次の2つです。

 

  • リード&フォローを「男らしい男」と「女らしい女」のみに固定化することによるジェンダー教育
  • 人種問題

 

 

 

 

  • リード&フォローを「男らしい男」と「女らしい女」のみに固定化することによるジェンダー教育

 

■当然 昔ながらのラテンダンスや社交ダンスは、ダンスの体系であるのみならず、人の考え方や存り方、そして他者との関わり方など、その時代時代の社会観念を、そっくり反映しています。ただし、どの時代でも、常に一貫していたのが、男性がリードし、女性がフォローする、という観念です。ストリート・サルサでも、競技タンゴでも、何であっても。男がリードし、女がフォローします。

 

■つまり、これはジェンダー教育なのです。ダンスを習うだけにとどまらず、男は男として、女は女としての振る舞い方も、習うものだったのです。もはや過去の遺物です。遺物というものは、ポイっと捨てたりはしないものの、過去のものだと認識する必要はあります。現在には当てはまりません。シェイクスピアのようなもので、敬意を払い、復刻させるのはよし でも、過去のものです。現代人の考え方を代表するものではありません。

 

■ペアは常に男1人と、女1人の組み合わせのみ、男女一組で、それしかなく、これまでずっとそうです。

同性同士や、男らしい女・女らしい男が、ペアで登場することは全くありません。メジャーな国際競技ダンス大会のほとんどにおいて、同性同士のペアはまず 出場させてもらえませんし、多くの場合 規定で完全に禁止されています 。

 

■白人の男女ペアしかいない中でさえ、女のほうが背が高いのはナシ、男のほうが背が低いのもナシ、女のほうが勇壮なのもナシ、男のほうが物腰柔らかなのもナシ!

 

■常識とされているリード役のほうが大きくて男らしく、フォロー役のほうが小さく女らしくなければならない― その考え方が障害になるのです。

 

■社交ダンスの世界の外で、このルールを会話に落とし込んで、映画に登場させたとしたら 世間は絶対に受け付けないでしょう。

「男が命令し女が応じる」…こんな関係、ゲイであれストレートであれ、どんなカップルであれ。健全、または良好な関係の2人には、全くありえないですよね。

それなのになぜか、ゴールデンタイムの番組で ゴテゴテにメイクして、派手に着飾った人が言葉ではなく動きで表現すると、それを世間はお茶の間から喜んで観るわけです。

実感と、かけ離れたものに対し、拍手喝采しているのです。

 

■あまりにも多くの人々が、社交ダンスの世界には不在なのにです。

 

  • 人種問題

「ラテンダンスのプロ」で グーグル画像検索して 本物のラテンアメリカ系の人を 探してみてください。

 

■何日もかかること請け合いです。

何ページにもわたって実際に出てくるのは、どう見ても白人な男女ペア。

日焼けスプレーをかけまくって ガン黒肌なだけ。

 

 

■黒人やアジア系や混血のペアはなく、要は、白人以外の人は全く登場しないのです。

 

→このことは、アメリカの社交ダンスの研究でも言及されています。

 

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今、具体的に見てきた①にしろ②にしろ、プレゼン中も言及されるようにもはや「現代の人々にはそぐわない概念」だと思います。

しかし、残念ながら、日本では、まだまだ力を発揮していく概念であるでしょう。

 

旧来の概念に沿う人も、もちろんいらっしゃるでしょう。自分の価値観・アイデンティティを疑うことなく、旧来の世界に染まれるならそれはそれで幸せなことであると思います。

でも、沿わない人もいるのです。そして、その人達も同様にこの世界で幸せになる権利があります。何を当たり前かと言われると思いますが…。

今、この瞬間もずっと権利を侵害されている人の権利を回復することに無頓着な人が多いから、敢えて書いています。

LGBTQに代表される性的マイノリティが非常に有名になっている昨今ですが、そうでなくとも、自分がマイノリティ(社会的少数派)に位置づけられることは、人生の様々な瞬間で訪れる可能性のあることです。例えば、事業に失敗して、無一文になって、ホームレスになるとか。

(弱者に優しくすることは、将来の自分に優しくすることでもあるのです)

 

「余計なものを全て削ぎ落としたら 社交ダンスの中核にあるのは何だろう?」 …それを職業として社交ダンスをされている方々が考えるのは、とても重要なことだと思います。

プレゼンターの二人にとっては、その具体的な答えが「流動的リード」になりました。

これは、とても素敵な回答だと思いました。

 

プレゼンでも言及されているように、「社交ダンス」の出来上がった当時の形というのは

■もはや過去の遺物です。遺物というものは、ポイっと捨てたりはしないものの、過去のものだと認識する必要はあります。現在には当てはまりません。シェイクスピアのようなもので、敬意を払い、復刻させるのはよし。でも、過去のものです。

 

「過去のもの」なのですね。そこを忘れてはいけないと思います。

 

言及されたシェイクスピアの戯曲は、言わずもがな、舞台や映画、小説、ミュージカル、はたまたアニメ等、様々な変化を経て、世界中で現在まで生き残っています。

「演出」「潤色」「翻訳」は扱う人によって様々です。

演出も、オーソドックスなものから、現代版に置き換えるとか、いわゆる時代や舞台などの設定を変更して演出する読み替え演出と呼ばれるもの、前衛的な演出まで多種多様なものがあります。

そのような「懐の深さ」を生み出してきたからこそ、シェイクスピアの戯曲は現代まで生き残ってきたのだと思います。これがもし、一つの演出しか認めないということであったりすると、世界的な普及や継承は難しかったかもしれません。

これは、伝統芸能や伝統工芸的あり方を目指すのか、「生きた文化」を目指すのか、という問題でもあると思いますが。

 

とはいえ、人の手によって作られたものは、その作品の芸術性とは別に、その時代の文化や制度を反映します。ざっくり言えば、古くなってしまう。

シェイクスピアを持ち出すまでもなく、昭和のヒットソングを聞くと古く聞こえます。平成初期の曲ですら、もうかなり懐メロ(30年前です!)でしょう。洋服だって、こんなの着ていた、今とずいぶん違うなと感じます。

社交ダンスという発明が始まって、日本に輸入されて、そろそろダンスの制度としてどうなっているのだろうという視点は必要なのかもしれません。

制度というのは、人を楽にしたり便利にするために生み出されるものですが、当初の目的と反して、制度が形骸化したり陳腐化して、人を縛ってしまいます。だから、ブラッシュアップされることが必要です。

人間の体が死ぬまで新陳代謝を繰り返し続けるように。

 

■「あまりにも多くの人々が、社交ダンスの世界には不在なのに」「実感と、かけ離れたものに対し、拍手喝采している」現状なので、社交ダンス界が消滅するとか滅びることはないと思います。

 

「あまりにも多くの人々」とは、このプレゼン上、厳密に言えば

★白人・ストレート・長身・男らしい・男

★白人・ストレート・低身長・女らしい・女

以外の人であると言えます。

ここには、日本人ももちろん、ブラインドダンスだったり、車椅子ダンスだってもちろん入りませんね。

 

それは、たぶん、社交ダンスの普及を目指していらっしゃる方々が持っているであろう“「文化」としての社交ダンス“の具体的なイメージ…例えば、若者が公共の場で「気楽に」楽しむようなもの、打ち上げとかで楽しんだり、カフェで気軽にダンスをしたりとか、いわば、社交ダンスの日常化を目指すには、あまりにも、「人々の範囲」が狭いのではないでしょうか。

 

日常には、いろんな人がいるのに、「社交ダンス」をした途端、「男らしい男」と「女らしい女」の2種類になってしまう。

いや、それは「プレイ」なんだ。そういう疑似プレイ、演じてるだけ、と思う人もいるでしょう。実際、何人かのブログを読んで、そういう風に書いてありました。

それこそが楽しみなんだと。

 

でも、私は単にダンスしたいだけで、「女らしい女」を演じたいなんてこれっぽっちも思ってなかったです。

むしろ、そういう風にされることが嫌で、ずっとやりたくなかった。

性に合わない気がします。

 

だからなのか、アメリカンスタイル、インターナショナルスタイルに関係なく、フォローをするのは、苦手。メリットはドレスが着られることくらいでしょうか。

あとは、人生の修行だと思って頑張っています。

両方覚えたら、おそらくフォロー側は夫とだけ踊ります。

 

今、ぼちぼちアメリカンスタイルのリードの勉強をしており、自分がリードをするのは全然出来ないし、緊張して動揺すると恐ろしいことになるけど、でも、こちらのほうが、しっくりします。それと、リードも勉強するようになってからのほうが、フォローも心情的に受け入れやすくなってきたようにも思います。

 

 

■リサが「流動的リード」のあるペアダンスに「思想性」を見出した点。

ただリードとフォローを、切り替えるだけではなく、それぞれの存在感や個性や力強さを一貫して保っており、どっちの役を演じていても、その点は変わらなかったことです。自分らしさはそのままでした。

 

■ここに本当の自由があるのです。役割を交替する自由だけではなく、どっちの役割を演じていても、その役に定義されずに済む自由であり、常に自分に正直であり続けられる自由です 。リード役やフォロー役が、どんな姿であるべきかは忘れましょう。

男らしいフォローや、女らしいリードでもいい。ただ自分らしくあることです。

 

■もちろん、この原理は、ダンスフロアの外でも同じです。しかしダンスフロアは、古い世界観を塗り替え、古い遺物に活力を吹き込み、現代や、この時代を生きる人の在り方に、よりふさわしい表現になるよう作り変えるのに、もってこいの場所なのです。

 

■本来 社交ダンスがいつもそうであった姿を、取り戻すことが目的です。

つまり お互いを気遣う、 繊細な技術としての社交ダンスです。

 

もし、社交ダンスが「お互いを気遣う繊細な技術」であるのであれば、

「古い世界観を塗り替え、古い遺物に活力を吹き込み、現代や、この時代を生きる人の在り方に、よりふさわしい表現になるよう作り変える」力を持っているのであれば、

それは、まさしく生きる力を与えてくれるものだと思います。

 

ペアダンスには、手を取り組むことで、一人では踊れなくても二人では踊れてしまう不思議さがあります。これは他のダンスにない大きな特徴です。

うまくいけば、生きていることが楽しいと思わせてくれる瞬間でもあります。

人のつながりの良さを感じさせてくれる瞬間でもあります。

 

音楽に身を委ねて、踊れる!今、踊ってる!楽しい!と思った時のあのわくわくした気持ち、興奮、感動…きっと、ペアダンスにハマっている人なら味わったことがあると思います。

 

それに「自分らしさ」=自分の何の要素をも否定されない場所であったなら、どんなに素敵だろうと思います。

老若男女が手を取り、障害も全て、インクルージョンして(inclusion 包括)、ダンスでコミュニケーションできる場所です。

ダイバーシティインクルージョンの場がペアダンスなのではないでしょうか。

 

本当の意味で、ダンスを好きなだけで、それだけで、つながっていられる場所が日本にもっともっと幅広く育つことを心より願っています。