もちねこのペアダンスメモ

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異国のダンスを学ぶ

ジュリエット・マクメイン「ブラウンフェイス:ダンススポーツにおけるラテンらしさの表象」

“Brownface: Representations of Latin-ness in Dancesport”

www.julietmcmains.com

McMains, Juliet. “Brownface: Representations of Latin-ness in Dancesport.” Dance Research Journal, 33, no. 2 (2001): 54–71.

https://www.julietmcmains.com/s/brownface-cbjr.pdf

 

以下は、上記の論文を訳したものである。

参考文献表については、原文のPDFを確認のこと。また、注については本文の中に()つきで訳し入れた為、注がついた語の確認も原文を参照して頂きたい。

なお、この論文は、後に大幅に加筆修正された上で、2005年の「魅力依存症:アメリカの社交ダンス産業の内側 Glamour Addiction: Inside the American Ballroom Dance Industry」の第3章に収録されている。

 

【ジュリエット・マクメイン(著者)プロフィール】

ハーバード大学卒(女性学)、カリフォルニア大学リバーサイド校のダンス史及び理論の博士号取得。現在、ワシントン大学舞踊学の教授を務め、社交ダンス他様々なダンスの実践指導、教育方法、学術研究を行う。

3歳よりダンスを始め、10代ではバレエ、ジャズ、モダン、タップ等のコンサートダンスに没頭、大学より社交ダンスを始め、大学4年生時、ハーバード・ラドクリフボールルームダンスクラブの会長を務める。1994年に全米大学の社交ダンスチャンピオンシップを獲得。卒業論文で「伝統と変容:社交ダンスにおけるジェンダーの役割Tradition and Transgression: Gender Roles in Ballroom Dancing」を執筆。

卒業後は、チャンピオンシップレベルでアマチュアのスタンダードに挑戦後、1997年にプロに転向。インターナショナルスタイルのラテン部門で競技ダンサーとして活躍する。アメリカン・スムースでも優勝を重ねる。米国のナショナルライジングスターのファイナリストに2度選出された。

その間、スウィングやサルサ、コンタクトインプロビゼーション、アフロ・キューバンルンバ、ヨガなどにも深く携わる。ダンススタジオとサルサダンスのスクールを運営し、フロリダ州立大学の有名なダンススクールで3学期、セントラル・フロリダ大学で2学期教鞭をとった。

博士号を取得した2003年、競技を引退。2005年、最初の著書である「魅力依存症:アメリカの社交ダンス産業の内側 Glamour Addiction: Inside the American Ballroom Dance Industry」を執筆し、2008年のダンス研究会議(CORD)優秀出版賞を受賞。

2006年よりワシントン大学で教鞭を執り、アルゼンチンタンゴを始める。何度もアルゼンチンへ渡り、深くアルゼンチンタンゴを学び、調査した。

関心は「ジェンダーフェミニズム、ラテンスタディーズ、人種と民族問題、サルサ、カリビアンダンス、タンゴ、ソーシャルダンス、ダンススポーツ、ダンス史」

 

これまでの研究タイトルについては、以下のワシントン大学のプロフィールを参照。

https://dance.washington.edu/people/juliet-mcmains

Brownface(ブラウンフェイス)について


「人種的なブラウンフェイスは、ラテンアメリカ、中東、北アフリカポリネシアネイティブアメリカン、南アジアの民族起源の人を模倣するブラックフェイスのバリエーションである。化粧、ヘアダイを使用したり伝統的な民族衣装を着て、これらの「茶色」の民族グループの1つに属しているかのように見せることによって行われる。これは、人種差別主義者であることを意図しているかどうかにかかわらず、通常は人種差別主義の現象として定義される。」

Racial brownface - Wikipedia

 

今年のニュース「ブラウンフェイス。ブラックフェイス。すべて攻撃的。ここに理由がある」

「Brownface. Blackface. They're all offensive. And here's why

2019年9月に出たニュースより。

edition.cnn.com

2019年9月、カナダのトルドー首相は、過去に2001年に学校行事でアラビアンナイトの仮装でブラウンフェイスの写真を撮影していたことを人種差別だったと謝罪した。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-09-19/PY27FB6JIJUR01

表現しようとしている肌の色は関係ありません。ブラックフェイス、ブラウンフェイス、イエローフェイス、レッドフェイス。自分でない、あなたが身につける色付きの顔は、レイシスト(人種差別主義者)です。彼らには長く、悲痛な歴史があります。異人種として自分を表現することは、単に人を表現することではなく、衣装として人の肌色を使うことである」(掲載記事より)

 

 

ジュリエット・マクメイン「ブラウンフェイス:ダンススポーツにおけるラテンらしさの表象」(ダンスリサーチジャーナル:2001年)

 

ダンスパートナーが私のボディに茶色のボディペイントを泡立てている間、アルコールの圧倒的なにおいがホテルのバスルームに漂う。私が肌をこがす化学物質の匂いで身を捩ると、「セルタンの正しい塗り方を学ばなきゃだめだよ」と、彼は厳しく忠告する。

12種類の日焼けマシンを試してだめだった後、この色白の肌を黒く染められ、プロのラテンダンサーとして「パス」できるものをようやく見つけたのだ。

ダンススポーツとは、アメリカ、ヨーロッパ、アジアなどの競技場で行われる社交ダンスの高度に様式化されたバージョンだ。

インターナショナルスタイルのダンススポーツは、貴族的なボールルーム(ワルツやフォックストロットなど)と最も簡単に関連付けられるダンスから成るスタンダード(標準)のカテゴリーとラテン系の両方を含む。

このスポーツで私があざ笑う多くの儀式の中でも、特に憎んでいるのは、真剣に見られたい競技ダンサーなら誰でも、自分の体を茶色の塗料で覆わなければならないという義務である。

一本27ドルのドイツ製PROFITAN-Intensive-Latin-Colorが私の好みの製品だ。三度のたっぷりとしたブロンズのエリキシルが私の肌に浸透した後、私の「ブラウンフェイス」は完成し、一晩中のコンペのチャチャにも耐えられるようになった。

 

ボールルームの競技ダンサーだけがセルフタンニング製品の唯一の消費者ではないが、ダンススポーツのラテン大会での人工的に皮膚を黒くした(白い肌)の流行は、ボールルームの「ラテン」ダンスと、人種/民族の基準との関係について検討する必要がある。

この実践の人種的(及び潜在的に人種差別的な)結果に注意を喚起する為に、他の社交ダンスのダンサーが受け入れられるであろう言葉ではなく、「ブラウンフェイス」という言葉をここで紹介する。

 

ダンス業界の友人や同僚の多くは、セルフタンニングクリームの使用が人種と関係があることを否定する。それはステージメイクであり、厳しく明るいライトの下で、青白い肌に健康的な輝きを与えるようにデザインされていると主張する。ボディビルダーやビューティーコンテストの参加者も、正式な評価の為に身体を見せるときにタンニングクリームを使用するという事実が、この立場を強化する。また、日焼けした白肌が、ほとんどの人が日光を避け室内で仕事をする後期の西洋工業文化において、富と余暇を連想させるようになったと指摘する人もいる。

(1.逆に産業革命以前は、青白い肌は上流階級の余暇の象徴であり、屋外労働の苦労を免除されたことを示していた)

タンニングブースでもタンニングボトルだろうと、ダンススポーツのセレブリティ達の黒い肌は、他の上流階級の余暇の地位と同列に位置している。
ボールルームでの人工的に黒ずんだ肌への執着は、それが映し出す魅力と運動能力のイメージと密接に関連していることは否定できない。

確かに、ダンススポーツのスタンダードダンサーは競技の為にある種の濃い化粧をする。だが、女性の脚、腹部、背中、男性の胸部が完全に露出しているラテン系のカテゴリーでは、そのような製品の使用が最も顕著であり、広く普及している。

私は個人的にセルフタンニングクリームをスタンダードでは使っていなかったのだが、真剣なラテンダンサーとしての熟慮から必須となった。

 

この慣習が生まれたのは、ラテンのコスチュームを着ることで徐々に肉体が露出されてきたからなのか、それとも競技者がより意識的に「ラテン」を見せようとしたからなのか、いずれにせよその効果は人種的なものである。人種は皮膚の色だけではないが、人種的に疲弊したアメリカの社会的・政治的風土においては、ブラウンフェイスの実践、特に「ラテン」ダンススポーツの競技者の実践を、人種と関係なく読み解く、ということはありえない。

 

ダンススポーツのラテンは、社交ダンスが様式化されたもので、アフロカリブ海およびラテンのソーシャルダンスの実践に触発されたものの、20世紀半ばにイギリスの帝国ダンス教師協会によって普及・定義された。

インターナショナルダンススポーツの大会のダンスの5種目は、ルンバ、チャチャ、サンバ、パソ・ドブレ、ジャイブだ。 アメリカのダンススポーツの大会では、アメリカンスタイルのラテンダンス(アメリカンリズムと呼ばれる)の追加のカテゴリーに、ボレロ、マンボ、スウィングが含まれる。

(2.もともと、この競技区分はアメリカ由来のジャイブを含んだことを説明する為に「Latin and American ラテンアメリカン」と呼ばれていた。 最終的に、この名前は「ラテンアメリカン」またはさらに一般的には「ラテン」に短縮された。ダンス史家のテリー・モナハン、この歴史的発展を教えてくれてありがとう。)

イギリス、ヨーロッパ、アメリカのダンサー達の手によって50年から70年にわたって改訂されてきたラテンダンスのダンススポーツ版は、ラテンアメリカの現代的、歴史的な慣習とほとんど共通点がない。

それでも、ダンス教師やメディア関係者のレトリック(実質を伴わない表現)は、ダンススポーツのラテン系と、ラティーノの人々が実践するダンスとの密接な関係に依存し続けている。

(3.サルサとダンススポーツのラテンの詳細な比較については、McMains(2001)を参照)

 

(本論文の構成について) 


■本論文では、これら2つのバージョンのラテンダンスの様式上の違いを詳細に探ることはせず、ダンススポーツにおけるラテンらしさの表現の人種的意味に焦点を当てたい。ダンススポーツの振付がどのように人種的地位を「実践」しているかを詳細に解き明かした後、ダンススポーツのラテンとブラックフェイス・ミンストレルシーを比較することで、ブラウンフェイスが、彼ら自身の人種的地位や階級的地位を交渉する手段として、ダンススポーツの競技者や観客にとってどのように機能するかを明らかにすることができると思われる。

また、ブラウンフェイスがいかにアフリカの歴史的なダンススポーツの先例を覆い隠しているか、そして、ラティーノのダンス表現が、ダンスフロアだけでなくダンスフロアの外でも、ラテン系の民族の生活にどのような影響を与えるかについても探ることとする。

 

ダンススポーツの人種の論理


ある水準では、ダンススポーツは、異なる人種、階級、国籍の人々が共通のダンスへの愛情によって集まっているユートピア的な共同体を表しているように見える。このようなロマンチックな視点から見れば、旧ソ連圏、西欧、アジア、豪州、米国のダンサーの参加は、国家と人種の境界を越えて人々を一つにするダンススポーツの力を証明する。

(4.2000年9月10日にフロリダ州マイアミで開催された2000年国際ダンスポート連盟世界ラテンアメリカダンスポート選手権に出場した国は、イギリス、イタリア、南アフリカ、日本、中国、ドイツ、オーストラリア、スロベニア、ロシア、アイルランドデンマーク、カナダ、米国、ユーゴスラビアラトビアノルウェーボスニア、フランス、台湾、ルクセンブルクウクライナポーランドチェコ、スイス、ルーマニアフィンランドニュージーランド、ベルギー、ハンガリースロバキアイスラエルベラルーシスコットランドだった)

スタンダードダンスで描かれているような貴族のヨーロッパ文化への言及とともに、ラテンダンスで示されるラテン文化への祝賀は、ダンススポーツがさまざまな民族グループの文化を等しく有効にするというさらなる証拠を提供するかのようだ。

実際、ダンススポーツの「ラテン」は、パフォーマンス理論のレンズを通して観察すれば、生物学的な人種のカテゴリーを分解することさえある。

(5.パフォーマンスに関する基本的な著作については、Butler(1990)を参照)

もしダンススポーツのパフォーマンスによって人種的地位「ラテン」が確立されるなら、認識される生物学的人種に関係なく、特定の行動規範を学ぶ全ての個人が、人種的アイデンティティを引き受けることができるようになる。

 

しかし、このような多国籍、多民族のメルティングポットのイメージは、業界が構築されているユーロ中心主義と、白人支配システムの論理体系を覆い隠すことになる。

ダンススポーツの歴史は、西洋帝国主義植民地主義の遺産と不可分であり、そこから発展してきたのだ。

 

ダンススポーツのパフォーマンスにおける「ラテン」の表現は、人種問題の緊張関係があるラテンアメリカとの、ヨーロッパとアメリカの関係の歴史から導き出されたステレオタイプに依拠し、それを再現している。


根本的に異なる歴史と身体的慣習を持つさまざまな国のダンスがひとまとめにされる「ラテンダンス」というカテゴリーが存在すること自体が、この議論のユーロ中心的な視点を明らかにしている。

 

特定の個人の意識的な人種差別的な意図や行動を示唆しているのではなく、ダンススポーツによって生み出される人種の描写が、米国社会で広まっているより大きな人種的議論と相互作用していると示唆しているのだ。


ダンススポーツの2つの区分の命名は、ラテンが白人のスタンダード(標準)からの逸脱であるという2項をすでに設定している。大雑把に言えば、スタンダードは西洋人のダンスであり、ラテン系のダンスはラテン系アメリカ人のものと。

(6.この一般化の例外は、スタンダードセクションで踊られるアルゼンチン系のダンスであるタンゴと、ラテン部門で踊られるアメリカのスウィングの派生であるジャイブだ。 これらの分類は、それぞれのダンスがヨーロッパで人気を博した歴史的な瞬間から生まれた。 タンゴは、1920年代にスタンダード区分が定義された時、イギリスでは既に人気のあるダンスだったからだ。ダンススポーツのラテン部門は、その数十年後に追加された)

 

(「白さ」の表現、「非白人」=ラテンらしさの表現)

 

このような包括的なステートメントは、ダンスの複雑な歴史的軌跡を覆い隠しているが、カテゴリー的な区別は、パフォーマンスにおいて維持される。

スタンダードのカップルによって描写される表象は、「白 whiteness」研究の初期の分野からの文献で議論された「白さ」の表現と多くの共通点がある。

 

文化評論家リチャード・ダイアーは著書『ホワイト』の中で、白人文化の中において、また西洋文化の中での、白人の視覚表現を検証している。彼の分析によると、白人は、強力で、異性愛者的で、善良で、清潔で、信心深く、裕福で、光があり、普遍的で、透明な人種である。彼の理論の中心にあるのは、白さは特定の肉体を超越し、すべての人類の為に存在できるという考えである(ダイアー1997)。

 

ダンススポーツの基準は、このダイアーが指摘する価値観の多くを描いている。贅沢な衣装、騎士道、女性の称賛された美しさ、その一体感の動きなどに例えることができよう。これらはすべて、特定の、おそらくは人種的な、個人のアイデンティティを超越しているように見える「古風な old fashioned」指標である。

しかし、大ざっぱに検討しても、このロマンスの概念が、衣装や優雅な動きの抑制とともに、ヨーロッパの貴族的なソーシャルダンスのモデルから派生していることは明らかになる。その美的価値は、垂直運動、体重を軽く使うこと、努力を隠すこと、流れるような運き、筋肉とボディラインを伸ばし長さ誇示するポーズを含め、古典舞踊の美的価値と非常に似ている。

 

この「白さ」の表現は、競技ダンスのラテン部門で表される必然的な人種的地位によって部分的に可能になる。2つのカテゴリは常に競技会で併設され、どちらも一方なしには表されない。

(7.しかし、ダンススポーツをフィーチャーした新しいアメリカのテレビ番組は、2つのカテゴリーを分離し始めた。1つの番組はラテンだけで、もう1つはスタンダードの競技だ)

スタンダードが白さを表すなら、ラテンはこの白い標準に対して、「その他 Others」の人種的アイデンティティを示す必要がある。ポストコロニアルの理論化によって検証された他者性の表現と一致して、ラテンのダンススポーツ版は、民族的または人種的なラテンを自認している個人の実際の経験よりも、西洋の欲望について多くを明らかにしている。

(8.「その他 Other」の理論については、Said(1978)およびBhabha(1990)を参照)

 

パフォーマンスアーティストでもあり文化批評家でもあるココ・フスコは、人種的カテゴリー「ラティーノ Latino」は民族、人種、文化的な幅広いグループを崩壊させる為、カテゴリーとしての有用性は非常に限られていると指摘した。

アメリカでは、ラテンアメリカ諸国の人々が同様の差別を経験することで、それが意味を持つようになることが最も多い。

しかし、控えめに言っても、ラテン系は白、黒、褐色、その中間には何十色ものメスティソの色がある為、ラテン系を人種的カテゴリーとして語るのは混乱を招く

皮膚の色と階級の位置は、社会的地位の決定に重要な役割を果たすが、それでも一般的な「ラテン」アイデンティティの虚構性は、ダンススポーツを通して育まれている

ラテンダンススポーツで行われた動きを読み解くことで、ラテンダンススポーツのパフォーマンスによって構築されたこの「その他」の非白人の人種的アイデンティティが、スタンダードのボールルームの実践で既に同一視された白い西洋人種の位置との対照関係が分かる。

 

コスチューム、股関節の動きの優位性、及び、しばしば性的誘惑を模倣する動きで作られた視覚的な物語(パフォーマンスが示唆する物語)によって示されるように、ラテンダンスはより性的である。

 

スタンダードダンスでは、カップルはクローズドダンスポジションにいる必要があるが(永遠の抱擁でお互いに押しつけられているのだ)、ラテンダンスはボディの相対的位置の広い範囲で踊ることができ、振付や個人的な表現のバリエーションを増やすことができる。

ラテンダンスのパフォーマンスはまた、体のシェイプや動きの選択の幅が広い為、身体的にも感情的にもより豊かな、非白人の人種的立場を示唆している。

しかし、ラテンはまた、そのテクニックと振付がスタンダードのものより形式的に構成されていない為、より「原始的」 に見える。

例えば、ほとんどすべてのスタンダードのバリエーションは、名前がつけられ、そのテクニックが何十年にもわたって書かれてきたが、高度なラテンの振付は、その実践者によって毎年新たに考案されている。

ラテン系におけるこの振付の自由は、非白人がより創造的で革新的である可能性を開くと同時に、「洗練された」スタンダードダンスよりも、ラテン系は規律が緩く、コントロールされていないという非難にさらされている

一方、スタンダードダンスは西洋文化が暗号化されたロマンチックなおとぎ話であるが、対照的に、ラテン系のダンスは、過度に性的、感情的、肉体的に、原始的な人間の表現である。

これらのアイデンティティは、時間や場所によって文脈化されるのではなく、互いの関係によって文脈化される。

したがって、西洋の、文明化された、貴族的な、白人のスタンダードダンサーとは対照的にラテンのダンサーを作り上げたい場合、ラテンのダンサーは非西洋で、未開、野蛮、非白人でなければならないのだ。

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写真1

アメリカダンススポーツ チャンピオンシップのユース部門のインターナショナルスタイルのラテンのコンペティター(ザ・ファウンテンブルー・ヒルトンホテル(マイアミビーチ)1999年9月、写真:David Mark)

この写真は、ダンススポーツ・ラテンの長く伸びたボディラインと「プリミティブさ 原始性」(ここではコスチュームがそれを表す)の一般的な併置を捕らえている。

 

しかし、ボールルームにおける人種の描写は、白人と非白人の二分法が示唆するほど単純ではない。

(9.私が「有色人種」という言葉ではなく、「非白色」という不完全な言葉を選んだのは、私が強調したいのは、白は(人種的地位)の色であり権力へのアクセスにとって最も重要なのは白との関係であることを強調したいからだ。用語の選択については、Dyer(1997)を参照)

 

(ボールルームダンスのラテンと、ラティーノの運動テクニックの違い)

 

ラテン系ダンサーのブラウンフェイスは、ボールルームのスタンダードダンサーだけでなく、ボールルームの外にいるラテン系ダンサーのサルセロス、タンゲーロ、サンビスタとの違いを示している。

肌の色を超えて、ダンススポーツの選手は、ラティーノ達のソーシャルダンスの実践とは明らかに異なる運動テクニックを使って、ラティーノ達との違いを演じている

 

例えば、ボールルームのラテンダンサーとクラブサルサのダンサーの両方が、同じ音楽に合わせてラテンダンスを踊ったら、2つのパフォーマンスは非常に異なって見える。

 

ボールルームのラテンダンサーは、クリーンで、制御され、バランスの取れた((別の見方をすれば、堅苦しく、無味乾燥で、予測可能な)スタイルで、対照的にサルサダンサーは、リズミカルで、遊び心があり、自発的で、自由な(または乱雑で、乱暴で、バランスが崩れた)スタイルなので、タンニングしても白い肌はまだ「白」として認識できる、とリチャード・ダイアーは指摘する(Dyer 1997、49)。

彼は読者に、セルフタンニング製品を使用する人は、白人の人種的特権を失うことなく、非白人の民族集団に関連する特定の特徴を借りることができることを思い出させる。

 

(社交ダンスの定義と、タンニングによる人種的特権)

「ラテン」の社交ダンスは、結局は、社交ダンスなのだ。その定義である「階級」と「人種的特権」を失うことなく、ラテンダンスに関連する情熱とセクシュアリティの一部を借用する。

肌をブロンズに染めた白人ダンサーも、ラテン系の名前で踊っているイギリス人のダンサーも、ここで言及した「他の人種」のダンサーになっている。彼らは、ラテン文化に関連するエキゾチックな特徴を取引しながらも、白人の特権を維持しているのだ。

 

 

ブラウンフェイスのミンストレルの遺産

 

現在の米国でのダンススポーツの認知度は、米国の黒人の黒人的なミンストレルの芸(1830年代)の人気には及ばないが、この二つのエンターテイメントの類似点は際立っている。

どちらの実践でも、肌の色が濃く、社会的、政治的、経済的な力が弱いとされる民族集団の行動のステレオタイプを強くする為に、肌の色が薄い人が体を黒く塗る。

ミンストレル・ショーの場合は、主にアイルランド系移民で、彼らは19世紀半ばには白人とみなされるほどアメリカ人ではなかったので、彼らはアフリカ系アメリカ人のひどい肉体的な風刺を演じる為に肌を黒くしたのだ。

アメリカのダンススポーツは、戦前のアメリカのミンストレル・ショーに比べたら周辺的な活動ではあるが、主に東ヨーロッパからの移民によって行われている。彼らはラテン系の人たちを極度にカリカチュアする為に肌をブロンズに染めている。

ブラックフェイスにもブラウンフェイスにも、この肌の白い新しくやってきた移民のパフォーマー達は、自分の利益の為に、少数民族グループの文化的な作品―音楽やダンス―を借りたり、再定義したりしている。

 

戦前のアメリカにおける黒人と白人の力の不均衡は、今日のアメリカにおけるラテン系と白人の力の不均衡よりもはるかに深刻であったが、当時のブラックフェイスがどのように機能していたかについて展開された理論は、現代のアメリカのダンススポーツでブラウンフェイスがどのように機能していたかを理解するのに役立つ。

文化史家のデイビッド・ローディガー(1991)は、アイルランドミンストレル・アクターと観客は、ミンストレル・パフォーマンスにおいて、そのパフォーマンスの黒さから距離を確保することにより、「白人」としての自分の地位を確立することができたと主張している。

ブラックフェイスのエンターテイナーによる人種その他の不完全な模倣は、人種差を具体化する比較を招いた。

直接の類似点ではないが、東ヨーロッパのダンススポーツの競技者は、ラテン系アメリカ人から距離を置いてブラウンフェイスのパフォーマンスをすることで、彼ら自身の白人の地位を固めつつある可能性がある。

リンダ・ミゼェフスキLinda Mizejewskiは、1920年代にユダヤ人と東ヨーロッパのジーグフェルド・ガールズが「カフェオレ」の化粧(明るい色の黒い顔)でパフォーマンスし、同様に肌の色が暗すぎて「白」にならない人と比較することで自分の白い同化を固めたと理論付けている。(Mizejewski 1997、10-11)

東ヨーロッパのダンススポーツ選手(その多くはユダヤ人で、米国で宗教的な亡命を許可された)は同じ偏見に直面していないが、特にラテン系移民に対する現在の文化的・政治的不安、より一般的には、白人のアメリカ文化の優位性の喪失は、同様の人種間距離のパフォーマンスが必要になるかもしれない。

(10.ダンススポーツは東欧の子供たちに人気のスポーツだ。アメリカのダンススポーツにこれほど多くの東ヨーロッパ系移民が参加したことは、彼らを民族的・文化的遺産に再統合させることを示唆している。しかし、アメリカのダンススポーツ業界での彼らの成功は驚異的で、ロシア語の名前やアクセントを持つ人は、アメリカの白人のダンススポーツ業界からほとんど自動的に尊敬されている。世界選手権で自分の子どもたちが米国を代表しているのを見てきた移民のコミュニティ全体にとって、ダンススポーツは同化の象徴となるだけでなく、彼らが米国社会に受け入れられる為の手段となっている)

 

さらに、ミンストレル・ショーとダンススポーツの両方ともは人気を博したことで、少数民族の人々が自分たちの芸術を表現して、商品化することを邪魔した。20世紀になってようやく、アフリカ系アメリカ人のエンターテイナーたちは、幸運に恵まれたジム・クロウやジップ・クーンのミンストレル・キャラクター以外の何でも簡単に演じることができるようになった。同様に、ラティーノのアーティストたちも最近になってようやく、アメリカで自分たちのバージョンのラテンダンスのパフォーマンスと販売に成功し始めた。

 

急速に成長している世界的なサルサ・コミュニティのような、これらの新興の「真正 authentic」のラテンダンス市場は、ラテンダンスの過剰なステレオタイプに大きく依存している。

(11.「authentic 真正の」という用語は、ラテン系ディアスポラ(民族離散)で生きているさまざまな現代の社交ダンスの習慣を指す。「真正性」は常に構築された概念であることを認識している)


一方でサルサはラテンのダンススポーツ版に代わるものを提供する。ダンスについては、ダンスフロアの「ラテン」を定義するものについて、依然、社交ダンス業界が作り出した期待に大きく左右される。

文化史家のエリック・ロットは、ミンストレルには黒人文化に対する魅惑と、同時にそれを嘲笑する「人種的侮辱と人種的嫉妬の弁証法的ちらつき」(ロット1993、6)の両方が含まれていると示唆した。

リチャード・ダイアーは、白さの視覚的表現に関する研究でこの点を強調し、美容的に暗くなった白い肌が、より黒い人種グループに起因するいくつかの特徴を取り入れたいという欲求を示せると指摘している(Dyer 1997、49)

他者に対するこの相反する感情は、 他の人種に近づきすぎずに試着したいという願望であり、ラテンダンスにも反映されている。

ロットによると、ミンストレル・ショーでは、黒人文化そのものよりも、黒人文化の白人の幻想の方が明らかにされるのと同様に、ダンススポーツ・パフォーマンスでも、ラテン系であることを意味する「西洋の幻想」が明らかになるという。

 

ブラウンフェイスが明らかにするもの

ラテンアメリカ諸国にダンススポーツがほとんど存在しないことは、おそらく、それがラテン文化ではなく西洋文化に関するものだという最も説得力のある証拠である。

 

ダンススポーツ版のラテンで最も視覚的に顕著なのは、衣装によって強調される実践者の過度の性的化しばしば性的誘惑を模倣する動きで構成される視覚的な物語、およびこのスタイルのダンスの教育とパフォーマンスの両方を取り巻く言説である。

女性用のラインストーンで覆われた水着のような衣装、男性用のおへそまで開いたシャツにぴったりとしたタイトパンツ…競技場のフロアで着用されている衣装をひと目見ただけでも、それは、ラティーノ達がが実際に着ているものではなく、エキゾチックな他者がどのように見えるかを演劇的に投影した視覚的なディスコース(言説)を明らかにしている。

 

衣装だけなく、西洋に受け入れられたラテンのステレオタイプを生み出すのは、ダンススポーツのラテンで作られた視覚的な物語である。

ルンバは情熱的、チャチャは軽薄、サンバは遊び心があり、ジャイブは熱狂的、そしてパソ・ドブレは2人のフラメンコ・ロマ・ダンサーと1人の闘牛士がケープを交えて語る。

これら全てが社交ダンスを通して異性愛(ヘテロセクシュアル)の求愛の物語を語るのだ。

 

しかし、ダンススポーツは、社交ダンスではない。西洋の社交ダンスの実践から発展し、社交ダンス業界と深く結びついているが、ダンススポーツは高度に様式化された演劇/スポーツだ。

即興と遊び心が中心である多くのラテンアメリカのソーシャルダンスの形式とは対照的に、ダンススポーツは、スキルと壮大な効果を最大限に発揮する為に慎重に振付られ、よく練習されたルーティンを好む。 誘惑は、パートナーシップ内ではなく、観客とジャッジに対して行われる。

 

バレエのパ・ド・ドゥのように、長く伸びたボディラインを好むことは、これらの情熱的な抱擁におけるリアリズムへの傾向に取って代わることが多い。

しかし、バレエダンサーとは異なり、バレエダンサーの腰は、脚と胴体が伸びるポイントとしてのみ見せられるが、社交ダンスのダンサーは骨盤を分離し、旋回し、押し付け、回転させる。

ラテン系のステレオタイプを過度に性的、情熱的、情緒的だと具体化するのに役立つものこそ、西洋のバレエにおけるパートナリングという著名な伝統との顕著な断絶なのだ。

ラテンアメリカのソーシャルダンスは、西洋の形式よりも性的に表現力があるかもしれないが、ダンススポーツ版ではこれらの特質があまりにも誇張されている為、ほとんどのラティーノには、ラテンダンスとは認識されていない。

(12.この反応は、1998年の映画「ダンス・ウィズ・ミー Dance with Me」で脚色されている。チャヤンがキューバからアメリカの社交ダンススタジオにやってきた時、彼は「あれがチャチャチャ?あんなラテンダンスは見たことない」と言った。)

 

繊細さ、遊び心、音楽性、即興性は事実上、ダンススポーツのラテンから追放され、これらのダンスを「ラテン」と特徴づける為に誇張された性的な体位とジェスチャーだけが残されている。

(13. ダンススポーツの競技者はディスクジョッキーまたはオーケストラの音楽の選択に関係なく、事前に振付けられた同じルーティンを実行する為、ダンススポーツのラテンはラテン系のソーシャルダンスの実践よりも音楽性が低いことを指摘しておく。音楽に合わせた自発的なタイミング調整は通常は実施されず、振付の複雑さを考えると不可能であることが多い。一方、即興のソーシャルダンサーは、自分が踊っている曲の雰囲気やアクセントに合ったステップを考案する傾向が強い)

 

(ラテンの性的描写とタンニングが守る「上品さ」) 

 

1930年から1950年にかけて、西洋のボールルームにこれらの踊りを受け入れたのは、おそらく 「その他」 として性的な特徴があったからであり、その点が重要である。

西洋の社交ダンサーは、ラテンダンスの官能性とセクシーさを、自分たちの文化の一部として所有することなく受け入れることができたのだ。

現代メディアには露骨な性的描写があふれている為、21世紀に実践されるダンススポーツに適用した場合、この議論を維持するのは難しいことを示唆しているかもしれない。

しかし、米国社会に圧倒的に豊富な性的イメージが存在するからといって、米国人の性的不安が解消されたわけではない。すなわち、多くの観客や参加者は、自分のセクシュアリティを「他者であるラテン」の世界に投影することに安心感を覚えるかもしれない。

 

さらに言えば、あからさまな性的描写は、依然「上品」とは見なされていない。

「上品さ」とはダンススポーツ界が分類されることを切望している憧れのラベルである。

 

ダンススポーツとその参加者の階級的地位ははるかに複雑で、この論文の範囲を超えているが、アメリカの社交ダンス業界は常に、上流階級ではないにしても、少なくとも上昇志向の将来有望な人たちにアピールすることに投資してきた。

(14.この問題に関する私の分析の一部はMcMains(1999)で発表された)

たとえそれがタンニングクリームだけであったとしても、ほぼ裸のボディを覆うだけで、ストリップクラブやエスコートサービス(女性の時間をお金で買って性的なことまでできるサービス)に向かい迫り来る下降スパイラルから業界を守るのには十分なのだ。

ブラウンフェイスは、ダンススポーツ版のラテンセクシーが高級感を保つのに十分なカバーを提供している。

上品でセクシーなブラウンフェイスのマスクの安全の下で団結することができ、そこではプロのダンサーと共謀している観客は階級の地位を失うことなく、このエロティックなセクシャリティーを楽しむことができるのだ。

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写真2

著者のジュリエット・マクメインと元パートナーのソニー・ペリーの競技中における「ブラウンフェイス」は、ソニーの顔と首を駆け下りていった。

カリフォルニア州アーバインのエンバシーボール、1999年9月。写真:Dave Head

 

ダンススポーツのセクシュアリティ(性的規範)がブラウンフェイス下でしか表現できない、もう1つの理由とはこのような異性愛ヘテロセクシュアリティ)の表現と西洋の肉体美を臆面もなくエロティックに寿ぐという脱問題化の陳列が、通常、一般的には「高尚な芸術」とは受け入れられないからだ。

政治的声明としてのヌードは議論を呼ぶかもしれないが、少なくともアートとみなされる。

ボールルームの衣装と美学は、「芸術的なダンサー」のものよりも、ラスベガスのストリップクラブに登場するそれにより近い。

 

バレエの歴史的な勢い、多くのモダンダンスの振付の自己反射的な政治的調査、あるいはジャズダンスの大衆的な支持がなければ、ダンススポーツはそのテレプシコーラ(踊り子)としての地位を確保するのに苦労する。

1997年にオリンピックの公式スポーツとして認められて以来、スポーツと芸術というダンススポーツの二重のアイデンティティの間の緊張が高まっている一方で、多くの社交ダンサーは「アーティスト」として認められることを目指している。

 

(参加者の極端な階級差を塗り隠すタンニング)

しかし、ブラウンフェイスのパフォーマンスは、西洋人がエキゾチックな他者に性的魅力を投影するだけのものというより、ずっと複雑だ。

アメリカの学問でも大衆の言説でも同様に、全然議論がなされていない階級の違いに関する言説が、あまりにも頻繁に民族や人種の違いに位置づけられてしまっている。

ダンススポーツのパフォーマンスでも、クラスから人種への同様の転置が再現されている。
アメリカの社交ダンス業界は長い間、上流階級の地位と移動性を売り物にしてきたが、参加者の極端な階級差についてはほとんど議論されていない。

 

アメリカのダンススポーツ産業の経済的基盤は、プロの教師にお金を払って、トップレベルのアマチュアやプロのアスリートと同じサーキットで競い合うプロ・アマのダンサーだ。
アメリカのプロのダンサースポーツ選手の多くは、プロ・アマの競技会でサービスを販売することで、高額なコーチング代や渡航費用を調達している。

これらのプロ・アマのダンサー達にとって、ダンススポーツは趣味であり、プロとしての評判と経済的安定性は他の場所にある。

一方、ダンススポーツのプロは通常、大学教育をほとんど受けておらず、業界外で大きな収入を得る可能性もほぼない。

ダンススポーツのプロの多くは労働者階級出身で、その多くは最近の移民であり、ダンススポーツのアスリートとして成功し、アメリカンドリームを実現しようと努力している。

社交ダンスを趣味として追求するのは上品だとみなされるが、経済的安定の為にそれに依存することは、完全に別の階級の問題である。

 

つまり、ラテンダンススポーツのプロが、その高級な運動技術の達人であるならば、彼らが下層階級の出身であることを誰も認めたくないのだ。

代わりに、それらはブラウンフェイスでエキゾチックな(人種的な)「その他」として特徴づけられる。黒ではなく、白でもなく、消費者と違いはあるが、適度にタンニングされ、優れた動きのテクニックを持つダンススポーツの専門家は、階級のあまり目立たない象徴を表す人種の標識でカバーされている

(18.この階級分析はアメリカの状況でのみ関連がある。プロ・アマ競技会はアメリカ独自の現象であり、多くのヨーロッパ諸国ではダンススポーツは労働者階級の活動である)

 

アフリカのルーツ

 

ラテンダンスが階級差の機能を隠す為に人種差別化されるのであれば、階級を使用し、人種の歴史を偽る方法もある。

社交ダンスのラテンダンスは、西洋化されているが、アフリカに根ざした運動形態の派生物である。ルンバ、マンボ、チャチャはアフロキューバンダンスと音楽の子孫である。サンバはアフリカとブラジルのダンスである。ジャイブはアフリカ系アメリカの英国化されたスウィングダンスだ。

これらのダンス様式はすべて、キューバ、ブラジル、アメリカの舞台でアフリカとヨーロッパのダンスの伝統を融合させたものだった。

これらの踊りが欧米のボールルームで成功したのは、一つには、実践者が「原始的な プリミティブな」ラテンの振る舞いに従事していると想像できたからである。

 

例えばアーサー・マレーが記した1942年のダンスマニュアルでは、ボールルームで実践されているラ・コンガ(La conga)はキューバの「有色先住民」によって実践されていたダンスから改作されたものだと述べている。

「思い出してください。何世代にもわたって素朴な原住民によって踊られてきたのです。そして、彼らがそれを学ぶなら、あなたは確かにできるでしょう!(マレー・1942,175)」

このような記述では、キューバ人の知性と文化的複雑さを侮辱するだけでなく、ラ・コンガが持ち出されたキューバのダンス様式の文化的なコンテクストと肉体的複雑さをも無視している。

マレーのバージョンではダンスが足の置き方にまで削減されてしまっている。

私の経験では、キューバンダンスにとって、足の配置は腰、骨盤、胴体、肩で表現されるリズムに比べてあまり重要ではないことが分かっている。

従って、これらのダンスの名称と起源の話は、ラテンダンスの形式を成文化した西洋の社交ダンス産業のスクールや組織によって維持されたが、ダンスとその社会的・文化的意味は劇的に変化した。

 

(ボールルームのラテンと、「真正」のラテンダンスの動き方の違い)

ボールルームダンスと「真正の」ラテンダンスの両方の形式は、ボールルームダンスの教師が最初にラテンアメリカからそれらを輸入して以来発展を続けているが、現代のボールルームダンスの形式と、「真正の」ラテンダンスの現在の実践(サルサアルゼンチンタンゴ、ブラジルなど)を比較することは、これらの違いを強調するのに役立つ。

(19.アメリカの社交ダンス産業におけるホワイトニングのプロセスについてのより歴史的な議論は、Robinson(2001)を参照されたい)

 

ボールルームの形式は、まっすぐな背骨、足から足へのバランスの取れた体重移動を介して生じる動き、明確に表現されたフットポジション、体全体の伸ばされたポーズと体のシェイプ、全身の極端なトーン、所定のステップの優位性によって特徴づけられる。

ダンススポーツのラテンはいくつかの性質に共通性がある一方で、「真正の」形式は各形式に固有の特定のテクニックで構成されている。

「真正の」形式では、よりダイナミックで柔軟な背骨が特徴であり、ムーブメントの間は足の間で保たれる体重、およそ重要でない足の位置、身体で明瞭に表現されるポリリズムの重要な位置、大多数の筋肉群の弛緩、即興は音楽の構造と密接に結びついていることである。

(20.これらの一般化は、社交ダンスのラテン、サルサアルゼンチンタンゴ、ブラジルのサンバ、リンディ・ホップ、キューバンルンバ、チャチャの数年間の観察と実践に基づいている。イエス・モラレス、シェリル・ブッシュ、クリスチャン・ペリー、アレクサンドラ・ギッシャー、アンナ・スコット、グロリア・オテロとの会話(や実際のデモンストレーション)は、これらの区別を明らかにするのに特に役立った)

 

ラテンダンスをボールルームに含める為に「浄化」するには、階級と人種の境界を越える必要があった。 アルゼンチンタンゴ、マンボ、ルンバ、サンバはもともとラテン系コミュニティでも最も暗部であり、最貧困層が踊っていたからだ。

(21.これらのダンスの「原点」とその軌跡が、障壁を越えて主流文化や上流文化へと受け継がれていく過程がいくつか書かれている。例えば、サヴィリアーノ(1994)、ダニエル(1995)、ヴィアナ(1999)、ボッグス(1992)を参照)

 

この美白と階級上昇には、動きを知的に習得し、予測できない要素を排除し、体とダンスを整然とした足取りと動きのパターンに訓練することが必要だった。

(22.バレエの歴史に関するスーザン・フォスターの研究によると、ラテン系のダンスの中で体をまっすぐなラインに集めようとする動きは、その破壊的な可能性を中和しようとする試みであった可能性があると示唆する。彼女は、19世紀にバレエの技術が発達したことで、身体がジオメトリックなシェイプと数学的な構造に発達したと主張する。彼女はこのピタゴラス化された新しいバレエ団について書いている。「体は主に言われたことをし、言説を始めたり続けたりはしなかった。バレエは衝動を育まなかった。カンカンやタンゴの持つマニフェストで見られるような体のパーツで表される散発的で始末に負えない取り組みは、みだらであり、あらゆる美的価値が欠けているとしか解釈できない。」(フォスター 1996,258))

 

この変化は、バレエがヨーロッパ文化の合理的な世界でより高い地位にシフトすることを可能にした。ボールルームダンスのラテンにおける身体の形状の類似は、ラテンアメリカの下層階級及び非白人の大衆文化という地位から、より上位クラスな白人のヨーロッパ及びアメリカ社会の卓越性へと移行するのに役立った。

 

 

(テクニックの比較) 

ダンススポーツのラテンの動きのテクニックと現代のサルサダンスで使われているテクニックの簡単な比較は、この点を示している。

ボールルームのラテンダンサーは、体から体への体重の移動が明確に伝わるように、踊りの中で一貫したつながりを維持する。アーム内に安定したフレームを維持し、胸郭をこのフレーム内で前後に動かして、移動の選択肢を伝えることにより、この緊密な接続を実現する。

サルサのダンサーは、手を通してよりゆるいつながりを維持する。 リードは、安定したダンスフレーム内で胸郭を動かすのではなく、腕または体重全体を動かすことによって開始する。

手を介した強いボディとボディの接続は、ターンの開始にのみ使用され、各ステップの調整には使用されない。

ボールルームダンスの踊り手は、エネルギーをよりダイナミックに、より速く変化させることができないので、このゆるやかなつながりを避けているが、ゆるいつながりは、より自然で自発的な即興パフォーマンスが可能である。
パートナー間の完全な協調運動は期待されていないので、ミスステップはミスとは捉えられず、新しいステップになる。

パートナーシップのどちらかのメンバーの為の個々の即興で提供される可能性とは別に、リード/フォローのテクニックの違いは、身体のさまざまな筋肉の間の対照的な関係も要求される。

 

ボールルームラテンでは、胴体、背中、骨盤、脚、足の主要な筋肉群が常につながっている。それらは常に同じ方向に同時に移動するとは限らないが、いずれかの領域の移動は常に他の領域に影響を与える。たとえば、足を介して体重が移動し、片方の膝が曲がると、骨盤が回転し、それに続いて肋骨と背中を横切る動きが可能になる。これにより、パートナーの背中の男性の手にわずかな圧力変化が生じ、パートナーが体重を移動すべき正確な瞬間が示される。

このような主要な筋肉群の厳密な相互接続性が、ボールルームのラテンに独特の魅力を与えるパートナリングのダイナミクスある種のスピードを可能にする。

しかし、ボールルームのラテンは、サルサダンスで流行しているようなポリリズム的なムーブメントは奨励していない。

 

 

ルサ音楽は複雑な構造を作り出す為に相互作用する多くの異なるリズムに基づいているので、ダンサーはしばしば身体の異なる部分で異なる楽器を模倣する。

例えば、サルサダンサーは、コンガに合わせて足を動かし、クラーベに合わせて胸郭を前方に突き出し、カウベルのヒットの間で肩を揺らすことができる。サルサに独特の運動スタイルを与えるのは、筋肉群の分離と独立した運動を開始する能力である。

サルサと西アフリカのダンスの実践を最も密接に結びつけているのは、音楽とムーブメントの両方がインスピレーションを得ているポリリズムの身体調音のテクニックである。

(23.体のセグメンテーションとポリリズムの動きを含む西アフリカのダンスの特徴の議論については、Malone(1996)およびScott(1997)を参照)

 

すなわち、これら2つの運動形態の特徴は、人種差別化された運動実践に明確に紐付けられているのだ。複数の関節点を前面に出した黒人の西アフリカのダンスの実践と、白い西洋人のコンサートダンスの伝統、特にバレエが身体の結束とコントロールを特権としていることである。

 

ほとんどすべてのラテンダンス様式の初期の実践者は、ラテンアメリカに住むアフリカ人奴隷またはその子孫であったが、それでもアフリカへのあからさまな言及は、社交ダンスの場で実践されるこれらのアフリカに触発されたダンス様式からは抜け落ちてしまった。

(24.他にも何人かの著者が、米国文化に対するアフリカ系の貢献を認めないことについて書いている。Gottschild(1997)およびWallace(1990)を参照)

確かに「アフリカの美学 Africanist Aesthetics」と呼ばれている多くの資質がダンスに残っている。ラテンダンスの演技では、ポリリズム、影響力の高い並置(high-affect juxtaposition)、エフェビズム(婉曲語法)が支配的である。

(25.アフリカの美学の議論についてはGottschild(1996)を参照)

 

しかし、このバージョンのラテンダンスには驚くほど「お尻」が欠けているのだ。文化評論家のリチャード・グリーンは、黒人の「booty ケツ」を理論化し、通説では、その実質的な割合は西洋文化における黒さの表現の中心となってきた(グリーン,2000)。

ボールルームダンスのラテンのテクニックは、西洋のダンスの伝統に従っている。西洋のダンスでは、よりバランスのとれた空気力学的な動きができるように、お尻を体の下に入れることを主張している。ダンスには、お尻を後ろに突き出して見せる為のポーズをする瞬間もある。しかし、空間を通る運きの場合、体の残りの背面に依存する。下半身は胸郭、肩、足、および頭と直線上にある必要がある。

(26.この調整は、バレエやモダンダンスのような他の西洋のダンステクニックと一致している。この美学は、黒人ダンサーを排除する正当化として20世紀の大半にわたって使用されてきた。バレエ団の黒人ダンサーは、解剖学的に、体の構造が真っ直ぐなボディラインの美学に忠実ではなかったと思われるからだ。

1995年に発表されたダンス作品 「Batty Moves 風変わりな動き」 は、Jawole Willa Jo Zollar (アーバン・ブッシュ・ウーマン) が振付を担当し、西洋のダンス様式に求められる要素と、アフリカのダンスやアフリカ人の離散的なダンスやムーブメントの慣習の中にお尻とお尻の祝福を隠すこととの間の緊張を利用している。ウェブサイトによると、「ZollarがBatty Movesを振付たのは、欧米式のトレーニング、特にバレエや現代の語法では、ダンサーの臀部が動き、詩、情熱を失っていると強く感じたからだ。この作品はお尻の動きに触発されたもので、いくつかの動きはお尻から始まったり、お尻で終わったりするが、他のものは背骨を直立させ、骨盤を整列させて背中の曲線をより多くすることで、伝統的な動きを現代のダンスの語彙から変換している。」(アーバン・ブッシュ・ウィメンズ2000)。)

お尻はこの垂直軸で回転できるが、胴体が移動している間、お尻が後方に突出してはならない。この開発により、体重が常に片足の上で均衡している為、非常に速い動きの後に突然停止することが可能になった。

一方、お尻のリラクゼーション(及び外側への突き出し)は身体の中でより多くのポリリズムを可能する。より速くよりダイナミックな水平運動を生み出す為の駆動力によって影に隠れた美的感覚である。

ボールルームの外で行われる現代のラテンダンスのコミュニティの実践では、お尻の美しさを称えているのだ。

 

アルゼンチンのタンゴでは、胴体は互いに内側に傾き、臀部が後ろにずれているが、イギリスとアメリカのダンススポーツのスタイルでは腰を下に押しつけ、胴体を外側に伸ばす必要がある。

文化評論家のマルタ・サヴィリアーノは、この区別を説明する際に、胴が互いに離れてバランスの取れた、より「洗練された」(すなわち、より高級でより白い)スタイルは、1920年代にアルゼンチンのエリート階級が望んだと指摘している。

臀部を隠すことは、このダンスの分類を階級的にも人種的にも移行させる為の中心的戦略の一つであったようである。

 

(スゥイングとお尻を隠すことについて) 

スウィングはほとんどの人にラテンダンスとは見なされていないが、ダンススポーツの競技のラテンカテゴリーで行われ、アフリカのリズムの前例を共有している。

現在、アメリカ中のナイトクラブでの1940年代スタイルのスウィングダンスの大流行は熟している。ダンサーがほぼ座った格好に近い状態でうろつく時、背部はボディの後ろに楽しそうにぶらさがっている。

サヴォイ・ボールルームの創始者であるホワイティのリンディホッパーの映像は、このうずくまった姿勢が、アフリカ系アメリカ人のスイングダンスの創始者たちが動いたスタイルであることを明らかにしている。

(27.例えば、1937年のマルクス・ブラザーズの映画「レースの日」 にハリウッド映画で初めて登場することを参照)

 

お尻はいつもそこにあった。しかし、ソーシャルダンス業界では、白人の社交ダンスの為に姿勢を正した。

1950年代のアーサー・マレーのダンスマニュアルには「お尻を後ろにして踊らないでください。お尻を後ろにして踊るのは時代遅れです」と釘を刺している(マレー・1959,219)

やってはいけないことの図解は、黒人のリンディホッパーの姿勢と著しく類似しており、タンゴの場合のように、白人の利用者がスウィングを受け入れられるようにするには、人種的に特徴づけられた背面を隠す必要がある。

 

ヨーロッパとアメリカのラテンダンスの動きの場所としてのお尻の消失は、このかつてないほどの仮想的なダンスの形式で最高速度を追求する為の技術的発展に過ぎなかったのだろうか?

それとも、ラテンダンスの歴史から黒さを消したことと関係があるのだろうか?

リチャード・グリーンが示唆しているように、実際にお尻と黒さが特徴づけられている場合、西洋バージョンのラテンダンスのお尻の欠如は、技術的発展と同様に人種の歴史を書き直すことに関係しているだろう。ラテンの異国情緒は市場に出回っていたようだが、アフリカの異国情緒には市場性がなかったのだ。

 

身体的存在

言説やテクニックに黒人のお尻が存在しないことより、現在の実践に、黒人がいないことの方が胸を痛める。黒人のダンススポーツの競技選手はほとんど存在しない。

アジア人とますます多くのラティーノ達がダンススポーツ競技に参加し始めているが、黒人はほぼ完全に不在である。

このスポーツを代表する人々は、この欠如を強く意識しており、時には、アメリカ国民がそれを人種差別と呼ばないように人口統計を歪曲している。

 

例えば、アフリカ系アメリカ人のヴァネッサ・ウィリアムズが主演した1998年のダンススポーツ映画「ダンス・ウィズ・ミー」の制作者は、アメリカのプロのダンススポーツ界で唯一の黒人の競技ダンサーであるリック・ロビンソンとマリア・トレスをチームにすることで、「南アフリカ系」のパートナーシップを発明した。

 

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写真3

マシューズでのヴァネッサ・ウィリアムズとリック・ヴァレンズエラ

テレビ用に撮影された招待コンペティションのエキジビションダンスのアリーナ

ボストン、1998年11月5日 写真:David Mark

映画のクライマックスで、「インターナショナル 国際的な」の競技の舞台で活躍するダンサーは、米国とカナダのダンススポーツのプロの中から選ばれ、ロビンソンとトレスを除いて、少なくとも片方のメンバーの出身国を表す自分のパートナーとともに、自分の名前で出演した。

トレスは、個人的なインタビューの中で、このキャスティングの決定について自身の複雑な感情を表明した。一方で、彼女は、ハリウッド映画で少数民族を積極的に表現すること自体が称賛されるべき勝利であることも認識している。しかし、彼女もロビンソンも自らの競技ダンサーとしてのキャリアや民族的背景が表されていないことに失望している。

この映画のプロデューサー達は、ダンススポーツチャンピオンとして主役のヴァネッサ・ウィリアムズをキャスティングしたことを正当化する為に、ダンススポーツにおける競争の人種的人口統計を作り直さなければならないと感じたのかもしれないが、人種的寛容と多様性の象徴的な表現として南アフリカを選んだ皮肉は、多くの観客に受け入れられなかったはずである。

この映画をめぐる宣伝の間、このスポーツに対する黒人の無関心という繊細で微妙な話題を持ち出すダンススポーツの専門家はいなかった。ダンスビート(アメリカのダンススポーツ新聞)のエッセイで、このシーンに登場する二人のダンサーは、監督がいかにこの場面を最も高いランクの競技ダンサーを探して演出しようとしていたかを強調した。

「彼らはトップ6を探していたが、それをできなかった場合はリストの下に移った」(「Dance With Me」1988、22)。インタビューでは、ダンススポーツを代表する追求が、南アフリカカップルの偽造につながったのかについて言及はなかった

ダンススポーツのラテンは、ラテン系以外の人種の違いをイメージしていることに他ならない。しかし、特定の人種の体をあからさまに論じることは、ダンススポーツの大使にとって明らかにタブーなのだ。

 

ダンススポーツに対する黒人の関心は依然として低いが、米国ではラティーノのダンサーがダンススポーツの競技会のラテン部門に参加するケースが増えている。 

文化の横領問題について私が話し合ったラティーノのボールルームダンサー達は、「真正の」ラテンダンスの動きをダンススポーツのルーティンに導入することにより、システムを内部から変える努力をしようとしている。

(28.特に、ダンススポーツのコンペティターであるDaniel Vasco氏、Dedelle Barbanti氏、Maria Torres氏、Jorge Geronimo氏、Charleton Alicia氏に感謝する) 

彼らは、両方の動きのテクニックを最大限に活用し、ボールルームのフロアでそれらを結びつけることができると信じている。しかし、これらのルーティンがボールルームの場で実践されており、ダンススポーツ業界のルールと美学によって評価されているという事実が、すでに片方のパワーの差を一方的に積み重ねている。

 

自らのエキソティシズムを通して、自分自身のラテンらしさを実践しようとするラティーノ達は、しばしば白人のアイデンティティの期待を超えていると非難される。

ティーナの競技ダンサーで、アフロキューバンのダンスも踊ったマリア・トレスはジャッジに「あまりにも本物過ぎるし、ストリート過ぎて、ラテン過ぎる」と罵られたことを覚えている(トレス,2001)。

それ故、ラテンダンスをパフォーマンスするラティーノの身体を読むことは、非白人が白人の権力体系に侵入していることが示唆するのだが、このシステム下の人種政治は非常にゆっくりと変化している。

 

ここまでダンススポーツが人種差別の歴史に深く根付いていることを示唆してきたが、程度の差はあるものの、ダンススポーツだけが西洋の拡大主義から発展した、他のアメリカの文化的実践よりも有害だと確信しているとまでは言えない。

人種差別の個人的な経験にもかかわらず、マリア・トレス自身は、彼女や他の人がダンススポーツへの参加を通じてインスピレーションを得た変化について楽観的である。彼女は、競争における人種の多様性と運動の選択肢の幅が広いことに言及する。

 

ダンススポーツの競技者の多くは、社交ダンス業界以外の幅広い「ラテン」ダンスを研究し、評価し始めており、一部の人々は、ダンススポーツがラテンダンスの単なる一形態に過ぎないことを示す為に彼らの言い方やレトリックを変えている。

ダンススポーツの支配者層は、他のダンス業界で批評家が彼女を称賛したのを受けた後で、マリア・トレスのダンススポーツへの貢献を称え始めた。

おそらく最大の変化は、ダンススポーツ・コミュニティの外部からの圧力によってもたらされ、実現するだろう。

 

他のラテン・ダンス・コミュニティーや業界、特にサルサアルゼンチンタンゴのコミュニティが世界中で人気と認知度を高めている為、ダンス業界はラテンダンスに対する独自の解釈を再検討し再定義せざるを得なくなっている。

 

このような人種問題を明らかにする私の意図は、ダンススポーツの実践を非難することではなく、実践者と視聴者の両方がラテン系の表現を理解する為の視野を広げることである。

 

ブラウンフェイスは、ダンサーたちの生物学的な白い肌よりはるかに多くを覆い隠している。それは、この慣行が生まれた人種差別の歴史や、アメリカの言説の中で人種と階級がしばしば混同される方法をあいまいにしている。

ブラウンフェイスは、ダンススポーツ版のラテン的なセクシーさを上品に保つのに十分なカバーを提供するのだ。

ブラウンフェイスの儀式はまた、人種の認識可能な身体的な会話を通じて、階級と国籍の複雑な関係を交渉するものでもある。

それは西洋の白人文化に同化する為のモデルを提供している。ブラウンフェイスはラテンダンスの歴史を振り返り、アフリカにルーツを持つ黒人の肌の色を塗り替え、より軽くて口当たりのよい口調に関係している人種政治を描いているのだ。

 

【謝辞】

1999年、カリフォルニア大学リバーサイド校で開催されたダンスとダンスの代表者セミナーグループのメンバーの皆様に感謝の意を表する。友人であり同僚でもあるダニエル・ロビンソンに特に感謝したい。

彼女がアメリカの社交ダンスにおける人種問題や表現の問題に同様に関与していなければ、ダンススポーツと批判的な人種理論への情熱の同時発生によって引き起こされた知覚麻痺の状態を超えて自分自身を働かせることができなかっただろう。

 

【詳細なプロフィール】

(2001年当時)

Juliet McMainsはカリフォルニア大学リバーサイド校のダンスの歴史と理論の博士候補者である。彼女はダンススポーツで10年間競っており、現在はプロフェッショナルのラテン部門に所属している。この論文の旧版である「Brownface: A New Performance of Minstrelsy in Latin American Dance」は、2000年のダンスミレニアムカンファレンスで発表され、the Congress on Research in Dance Graduate Research Awardを受賞した。彼女はDanielle Robinsonとの共著で、I See America Dancing:Selected Readings,1685-2000に掲載された「スイングアウト:南カリフォルニアのリンディ・リバイバル」を書いている。最近では、ニューヨーク市で開催された2001年のCORD会議で論文「ラテン・アメリカン・ダンス:サルセロスとバレエダンサー」を発表した。

 

(現在)

https://www.julietmcmains.com/bio

 

ジュリエットはダンスの雑食者で、ほとんどすべてのダンスの実践をむさぼり食う旺盛なダンス欲の持ち主です。けれど、彼女のダンスの胃袋は、パートナリング、即興、そして、ラテンアメリカの数々のソーシャルダンスとアフリカのディアスポラ(民族離散)に特別に場所を開けてあります。

 

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カリフォルニア大学リバーサイド校で舞踊史と舞踊理論の博士号を、ハーバード大学で女性学の学士号を取得。現在シアトルのワシントン大学のダンス学部の教授であり、スタジオとアカデミックなクラスでのソーシャルダンス、異文化のダンスを教え、ダンス研究も指導している。以前は、プロの競技ダンサーとして国中を旅したが、その後、即興のソーシャルダンス、特に、サルサ、タンゴ、スウィング、コンタクトインプロビゼーションを通じ、他者との動的な対話で自分を見つけたり失ったりすることに熱中した。

 

3歳よりダンスを始める。10代ではバレエ、ジャズ、モダン、タップ等のコンサートダンスに没頭し、勉強、練習、パフォーマンスするだけでなく、15歳くらいからは教えて振付もした。大学では社交ダンスに”感染”した。大学では卒業論文で、「伝統と変容:社交ダンスにおけるジェンダーの役割Tradition and Transgression: Gender Roles in Ballroom Dancing」を執筆。大学4年生時、ジュリエットはハーバード・ラドクリフボールルームダンスクラブの会長であった。1994年に全米大学の社交ダンスチャンピオンシップを獲得した。大学卒業後は、チャンピオンシップレベルでアマチュアのスタンダードに挑戦した。

 

1997年1月、プロに転向し、パートナーを変更したことで、競争の焦点をスタンダードからラテンに切り替える決定をした。1997年の秋、彼女は博士号を取得する為に南カリフォルニアに拠点を移し、カリフォルニア大学リバーサイド校でダンスの歴史と理論を学んだ。

カリフォルニア州では、ジュリエットはプロのダンススポーツコンペティター、エンターテイナー、ダンス学者、ダンス教師(ダンスチェーンのフレッド・アステアで働いていた)、社交ダンス愛好家など、さまざまな角度からダンスの研究に身を投じた。

南カリフォルニアのプロのダンススポーツのトップライバルの間でのトレーニングは、パートナーシップにおける彼女の技術力を調整した。深夜は南カリフォルニアのナイトクラブでサルサとスイングを踊り、午後はコンタクトインプロビゼーションの人々がジャムをして、即興、音楽性、遊び心について指導さらえた。約20年後、ジュリエットはそれらの経験に感謝した。ハリウッドのエンターテインメント業界で働き、ヨガの多大な利点を発見し、ロサンゼルスをツアーするパフォーマンス企業に浸ることは、同様にダンスへの多面的なアプローチに貢献したからである。 

 

2001年、ジュリエットはラディム・ラニクと共にインターナショナルスタイルのラテンでプロのダンスパートナーシップを追求し、新たに見いだした社交ダンスへの情熱をセントラル・フロリダに広める為に、フロリダ州オーランドに移住した。セントラル・フロリダでの5年間で、ジュリエットはラディムとダンススポーツの多くの大会で優勝し、その後アメリカン・スムースのパートナーであるリック・エリオットとも優勝した。米国のナショナルライジングスターのファイナリストに2度選出された。ダンス・アディクションと呼ばれるダンススタジオとサルサダンスのスクールを運営し、特にサルサ・アディション・ダンス・チームの振付を楽しんだ。彼女はまたフロリダ州立大学の有名なダンススクールで3学期、セントラル・フロリダ大学で2学期教鞭をとった。

博士号を取得した2003年、ジュリエットはダンススポーツ競技を引退し、サルサとそのキューバ起源のより的を絞った研究を始め、マイアミを経てキューバへ渡り、アフロキューバの伝承とルンバを研究した。

 

2005年、最初の著書である「魅力依存症:アメリカの社交ダンス産業の内側 Glamour Addiction: Inside the American Ballroom Dance Industry」の原稿を提出した後、ジュリエットはサルサダンスの歴史に関する正式な研究を始め、それは二冊目となる著書「マンボをサルサに紡ぐ Spinning Mambo into Salsa」となった。

 

2006年8月、ジュリエットはワシントン大学ダンス学部で教える為、ワシントン州シアトルに移った。ジュリエットは、慣れ親しんだカリフォルニアやフロリダと比較すると、シアトルでのサルサのシーンには少々幻滅したものの、すぐにアルゼンチンタンゴの親密さと挑戦に魅了された。アルゼンチンタンゴサルサにとってかわって、ソーシャルダンスのお気に入りの練習となった。ジュリエットはタンゴの師であり、8th Style School of Tango(ジュリエットは2010年から2014年にかけてそこで習った)の創設者でもあるジェームズ・フライドゲンJaimes Freidgenに深く感謝している。フライドゲンは、彼女の教え方やボレオのレベルを上げるように仕向けた人物である。ジュリエットはタンゴに深く投資した為、何度もアルゼンチンへ行き、そこで調査を行い、タンゴを習い、エンパナーダを食べ過ぎ、午前5時まで何カ月も続けて踊った。彼女はまた、ワシントン大学タンゴクラブ(UW Tango Club)のメンターでもある。

ワシントン大学の教授陣として、ジュリエットは毎日のように、教師や芸術家といった卓越した才能を持つ同僚たちからインスピレーションを受けている。彼らは好きなときにいつでも授業に立ち寄らせてくれるので、彼女は謙虚さを保って19歳以下の人達と隣でバレエやモダンを踊り続けることができる。ジュリエットは、大学院や学部の学生や、独創的な研究(その中には、Angel LangleyのWhat's Poppin'Ladiezのような画期的なプロジェクトも含まれてる)を行う学生を指導する栄誉に浴している。教授としてのジュリエットの仕事には、活発な研究活動の継続、研究と教育の為の海外旅行、そしてアートの制作が含まれます。これはかなりクールな仕事だ。

 

教師として、彼女は生徒たちが創造的な作用、技術的な統合、共感的なリスニング、音楽的な調律の交差で芸術的な表現を解き放つのを助ける為に努力している。彼女は両方の役(リーダーとインタープリター/フォロワー)を得意としており、社交ダンスの練習において、ジェンダーによる上下関係の是正に絶えず努めている。彼女はまた、ラテンアメリカの社交ダンスの伝統において、アフリカの美的価値の中心性を取り戻すことにも力を注いでいる。彼女の振付は、西洋のコンサートダンスの伝統(特にバレエと現代舞踊)についての生涯にわたる研究とともに、社会的パートナーのダンスの伝統についての深い知識をもたらしている。サルサ、社交ダンス、タンゴ、ルンバ、スウィングなど、様々なジャンルの作品を発表し、実践者、教師、研究者、地域社会の立役者としての活動に没頭している。ジュリエットは、それぞれの形式の歴史と構造/美学的論理に深く踏み込んでいるが、それぞれの専門分野の知識が他の分野の調査にも役立つようにしている。

 

 彼女のHPに発表された記事については以下も参照のこと。

mochineco.hateblo.jp