もちねこのペアダンスメモ

もちねこのペアダンスメモ

異国のダンスを学ぶ

【文化】ジェンダーロール(性役割)から離れて踊ろう

アフリカン-ラテンダンスでは、男性がリードし、女性がフォローする。しかし、ダンサーの中にはルールを変えている人もいます。

 

 

ライター:コリ・ブロスナハン(ボストン)

2019年6月19日のExperienceの記事より

expmag.com

 

ある3月の夜、銀行、託児所、美容院が建ち並ぶ平凡なボストンのビルに、ラテンダンス愛好家が集まり、マンスリーソーシャルナイトが開かれました。明るくきらめく光の下で、彼らは友人と見知らぬ人の間を移動しながら、サルサ、バチャータ、ズークのステップを踏んでスピンしました。

 

数時間後、パフォーマンスチームがフロアに立ってズークショーを行いました。音楽が始まり、カップルはパートナーを変えました。今、男性は男性と、女性は女性と踊っています。群衆は暴れ出しました。

 

アフリカン-ラテンのパートナーダンス(Afro-Latin partner dances)は、そのハイフンが示すように、植民地時代のカリブ海地域の文化が融合したものです。アフリカのパーカッションとボディムーブメントに、スペインのギターとフランス人のパートナーが、ダンソンやルンバ、そして最終的にはマンボ、サルサ、バチャータなどのダンスを生み出しました。たまらなく病みつきになるラテンダンスは世界中に広がり、今日の国際的な現象となりました。

しかし、一つだけ変わらなかったことがあります。つまり、ムーブメントを始めるリーダーが男性であること。彼の提案に答えるフォロワーは女性だったことです。

 

今では、それが変化しつつあるようです。ボストンのような都市では、クィアコミュニティが率いるムーブメントの最先端にあり、彼らが主導して、伝統的で高度にジェンダー化された芸術形態を、今日の世界を映し出すものへと変えようとするムーブメントが起きています。社交ダンスではますます同性カップルが増えています。より多くの男性がフォローし、より多くの女性がリードしており、その中にはクィアではない人も含まれています。

 

私がバチャータを踊り始めたのは1年前、ハバナクラブという、カリブ海にある活気あふれる開拓地でした。ストレートの女性として、ある夜、女性が私にダンスを求めたとき、そして彼女が優れたリーダーであることが判明したとき、私は驚きと喜びを覚えました。 踊れば踊るほど、リードとフォローを切り替える人の多さに気づきましたクィアもいれば、ストレートもいる、私には分からない人もいました。私はバイリンガルの人たちを尊敬するのと同じように、彼らのスキルを尊敬しました。


パートナーダンスはアメリカでは過剰に性の対象として、とらえられすぎる傾向があるが、本質的にはつながり・関係に関するものです。ダンスは、最高の条件が揃ったときには言葉を使わない会話であり、親密で、陽気で、情け深いものです。

フォロワーとして、私は主に男性と踊っていましたが、そこで、人口の半分とのつながりを失っていることに気付きました。また、私はもう一つの失われたつながりについて考え始めました。つまり、私はいつも人生ではフォローしているわけではないのに、なぜダンスフロアでは、フォローだけをする必要があるのでしょうか?

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何十年もラテンダンスの世界にいた人々は、同性ダンス(Same-gender dancing)は全く新しいものではないと指摘します。人々はずっとゲイのナイトクラブでサルサを踊ってきました。
ダンスのインストラクターは、通常、両方のパートを教える為に学びます。また、男女の境界線を越えて名声を得たスターもいます。ガイアナ出身のゲイ、ショーン・「スタイリスト」・ブリストルは、1990年代後半にフォロワーとして踊り、国際的なサルサ旋風を巻き起こしました。


イーライ・トーレス(Eli Torres)とイェン・ドラド(Yen Dorado)は二人の男性で、その電撃的なパフォーマンスは2009年に権威あるMayanのプロフェッショナル・サルサコンペティションで優勝しました。


Eli & Yen champions at the Mayan Competition 2009 Pro division

 

「ダンスレッスンは、次のような前提でしばしば始まります。
インストラクターは「こちらに女性、向こう側に男性」と言うかもしれません。
しかし、あなたがリードをしたいと思っている女性ならどうでしょうか?あるいはフォローをしたい男性なら?そして、もしあなたが男性か女性か特定できないの(※クエスチョニング)だったら?」

 

しかし、才能は例外を隔離する一方、新しく参加した人や単にスキルの低い人が直面している現実を隠してしまいます。

 

「多くのクィアカップルがダンススクールに入ってきて、落ち着かず、疎外感を覚えたりするのを見てきた」と話すのは、ボストンを拠点に活動するプロのサルサダンサーで、クィアな存在だと自認するインストラクターのアナ・マサコートさんです。

現在、彼女はインストラクターを訓練しており、「紳士淑女の皆様 ladies and gentlemen」の代わりに「リーダー」や「フォロワー」という言葉を使うよう指導しています。この傾向は一般的になってきていますが、まだ完全には定着していません。

 

シアトルのワシントン大学でダンスを教えるジュリエット・マクメイン教授のような人々は、ボキャブラリーを完全に考え直しています。

「私は女性の役割を「following」とは呼びません。女性の役割を引き受ける人々の受動的なアイデンティティを強化する傾向があると思うからです」と彼女は言います。マクメインは「フォロワー」の代わりに「インタープリター 通訳者」という言葉を使っています。

 

言語が変化すると、言語が記述する文化も変化しますが、その変化は均一でも一本線でもありません。マクメインは、ダンスの歴史の本『マンボをサルサに紡ぐ :グローバル商取引におけるカリビアンダンス Spinning Mambo Into Salsa:Caribbean Dance in Global Commerce』の著者でもあり、同性間のダンスや役割交代のダンスが主流となっているのは、特定の場所で特定の瞬間に限ったことだと考えています。「特定のコミュニティで多くの仕事をなす個人・小さなグループと関係があります」と彼女は言います。

 

「ボストンを拠点とするZouk on the Docksダンスグループは、誰もが踊れる快適な空間を作ろうとしている。交代(スイッチングロール)や同性同士のダンスはいつでも大歓迎。この写真はマサチューセッツ州メドフォードのレスリー・ウィルソン。彼は半年ほど前からズークをここDocksで踊っている。写真:Gretchen Ertl」

 

ティナ・カビッチオは、そんなボストンで踊る人々の1人です。子どもの頃からダンサーだったカビッチオさんは、父親がミュージシャンを務めるボールルームで育ちました。4年前、彼女は地元のクラブでバチャータを踊るようになり、ガールフレンドと踊りたいと思い、リードを習うようになりました。

 

「私たちのうち、どちらかが、その役割を果たさなければならないから」というのがその理由でした。男性ダンサーたちが彼女らを別れさせた時、カビッチオは彼らがホモフォビア(同性愛嫌悪者)ではないと想像しました―女性たちが時間を潰して、男性の登場を待っているからだと思っただけでした。それでも彼女は腹を立てました。

 

彼女が知らない女性にダンスをするように頼むことは、もう一つの挑戦でした。カビッチオがリードするようになった時、彼女はニュージャージーのダンスフェスティバルに行きました。「あまりにも多くの人が私にノーと言ったので、私はとても動揺しました。私はボウタイとスーツを着ていました。―男性も私にダンスをするよう頼みませんでした。『ちくしょう!服を着替えな、そうすればフォローするよ』と感じた。私はブレザーを脱いで、別のシャツを着ました。これは本当にトラウマになりました」

 

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スペイン語のdespeloteを調べれば、「カオス」から「熱い混乱」、「踊りの中の規則と秩序の完全な崩壊」まで、様々な定義が見つかるでしょう。しかし、アナ・マサコートにとっては、解放される喜びを意味するので、新しいLGBTQアフリカラテンソーシャルダンスに「デスペロテDespelote X」と名付けたのです。

 

この種のイベントがボストンで開催されたのはこれが初めてでしたが、マサコートは10年前に男性と結婚した時に、既にそのアイデアを育てていました。 5年前に彼女自身がカミングアウトしたことは、彼女がこの業界でより大きくなっていく開放性と見なしたものと同期してしていました。 同性カップルYouTubeビデオがオンラインで拡散し、ベイエリアで最初のクィアラテンダンスフェスティバルが開催されました。 それこそがマサコートが決定したDespeloteXの登場でした。

 


「ホセ・カドラがマシュー・フェラーと踊る」

 

晩春の日曜日、私はハードロックカフェに向かい、ボストンのブラジリアン・ズーク・コミュニティの育成に寄与するグループ「Zouk on the Docks」 の組織化に協力している現地のダンサーで振付師のホセ・カドラを連れてパーティに行きました。カドラは私にある印象を与えたズークの作品を振り付けました。彼は、同性のパートナーに切り替えることは学生の考えだったと私に話しました。カドラはわずか5年前には男性とは踊らせないチームにいたので、この戦略には特に満足していました。ソーシャルダンスでも検閲されていました。

 

「私は、勇気を出して[彼]にダンスを頼みました」と彼は言います。「彼らは同意した。私も同意した。私たちは踊っています。そして、チームメイトは私たちを引き裂くでしょう」

 

他の時、彼はあからさまに拒絶されました。彼が覚えているよりも多くの回数、彼はダンスフロアで拒否されました。しかし、マナグアン警察署長のゲイの息子であるカドラはもっとひどい扱いを受けていました。彼は「より崇高な目的がありましたから」と信じて、ひたすらそこに身を置き続けました。彼は、人々が自分を見るだけで良いと思っていました。

 

今では、彼の努力、そしてクィアコミュニティの人々の努力が報われているようにも見えました。DespeloteXでは、私達はレインボーフラッグの前で様々な小道具を使ってサインインし、写真を撮りました。

「これは大きなゲイのプロムみたいなものです」とカメラマンは言いました。

「夢だ」とカドラは言いました。


カビッチオはダンスが始まる前に他の女性と一緒に小さなバチャータのクラスを教えていたました。ここに「紳士淑女の皆様」はありませんでした。人々は空間を埋め尽くしました。音楽が鳴り響きました。


別のインストラクターは、奴隷船に乗ったヨルバ族がアメリカ大陸に持ち込んだオリシャ神の踊りであるアフリカ・キューバン・ムーブメントのワークショップを案内してくれました。

オリシャには独自のリズムとムーブメントがあり、サンテリアの信奉者やサルサのダンサーによって同様に実践されています。愛と女らしさの女神であるオシュンが腰を回し、手首を飾るバングルをなでます。炎と男らしさの神のチャンゴは、斧を振りかざし、雷と稲妻をもたらします。
誰でもシミーとチョップの仕方を学ぶことができます。誰もがどのパートでも演じることができるのです―そして、それが私たちが夜、残りの時間にしたことでした。

 

ただ、私がフォローしたのは、リードの仕方がわからなかったからで、この時点で私は恥ずかしくなっていました。そこで、DespeloteXの数週間後、私はカビッチオとバチャータのリードのレッスンを予定しました。

 

ガールフレンドと初めてバチャータを踊って以来、カビッチオは人気の先生になりました。(また、彼女は自分が頼むより、誰よりも早く踊るように頼まれるようになりました)

 

私が彼女に会ったのは、MITの建物の四階で、そこの広々としたエレベーターの前庭は、しばしばダンサーに乗っ取られていました。私たちは胸を開いてウォーミングアップしました。カビッチオの説明によると、リードは肘や手首からではなく、ボディから来るといいいます。次に、8カウントについて話し、バチャータの基本的なリズム構造、そしていつ何が起こるかについて話しました。

 

その姿勢は、見慣れた写真の鏡像を見ているように奇妙に感じられました。私は右足から始めようとしましたが、カビッチオは、リーダーは常に左足から始めるということを思い出させてくれました。ライトターン、レフトターン、フォワードベーシック、バックベーシックを練習しました。私が振り向くたびに、私の腕はフォロワーの位置にパチンと戻りました。

私は自分のダンスに責任を感じました。私が混乱し、明確な方向性もなくカビッチオを立ち往生させた時、多くのリード役が私にそうしてきたように、私は不器用に謝りました。
私にはありったけの自信が必要でしたが、次に何が起こるかを決めて、それを実行に移すことができたのはとても刺激的でした。


体が進むにつれ、心が続きます。

つまり、リードとして明らかになった私の考え方は、ダンスフロアを離れて人生に出て行きたいということだったのです。

 

レッスンの後、私達はカビッチオの友人で、階下で練習していた2人の女性を訪ねました。2人ともリードもフォローもしていて、私が最初のリードのレッスンを受けたことを伝えるとわくわくしていました。一人は「今度ハバナで踊って!」と話しました。私は彼女にそうしよう!と言いました。

 

ノースイースタン大学のexperienceの記事より
(アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市の私立大学)